記事詳細

イトマン事件後の「空白の10年」はこうして始まった (1/2ページ)

 17日発行の夕刊フジに、住友銀行(現在の三井住友銀行)取締役の國重惇史(くにしげ・あつし)氏のインタビューが掲載されていた。同氏は著書『住友銀行秘史』(講談社刊)で、住銀が約5000億円の損失を被った「イトマン事件」の内幕を明らかにした。筆者(田村)は事件当時、日本経済新聞のデスクだったのだが、内心忸怩(じくじ)たる思いで同書を読んだ。

 ときは1990年9月15日、土曜日の午後。週末は通常、現場からの書き置き原稿をもとに紙面を編集するので、平日のような緊迫感はない。上がってくる記者はいなく閑散としている。ふと見ると大塚将司記者が横に来ている。原稿は数字と事実だけを淡々と並べているが、ことの重大性はただちにわかった。

 「これは超弩級(ちょうどきゅう)のスクープじゃないか。1面アタマにするから、解説を加えよ」と指示したが、大塚は「3面の段物でよい」と譲らない。1面トップは事前に電話で上司に報告する必要があるのだが、大塚は「そしたらこの記事は潰されるよ」。

 大塚の口ぶりから察すると、編集幹部は事件報道が住銀の信用不安につながりかねないと恐れていた。大塚は、編集委員として頻繁に米国出張し、社内事情には疎い筆者がデスクに座る日を選んで出稿してきた。幹部から待ったをかけられると、記事はボツにもなりかねない。考えた揚げ句、第3面3段見出しで全文掲載、記事としては異例に長い重大記事「伊藤万グループ、不動産業などへの貸付金、1兆円を超す」が翌日の朝刊に載った。

zakzakの最新情報をSNSで受け取ろう