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故・西室泰三氏 異色の経歴ながら東芝でなぜ力を持てたのか (1/2ページ)

 東芝の社長・会長を務めた西室泰三氏が81歳で亡くなった。

 西室氏は東芝会長を降りたあとも、東京証券取引所会長(一時社長を兼務)、日本郵政社長を務めるなど、常に経営の第一線に座り続けただけでなく、古巣の東芝に対しても影響力を発揮し続けた。

 なぜそれほどまでに力を持ったかというと、ひとえにその交渉力にある。

 西室氏は東芝では異色の社長だった。かつて東芝の社長になる条件は東大卒、重電出身というものだった。歴代社長のほとんどがこの条件に当てはまった。しかし西室氏は慶応大学経済学部出身で、電子部品の営業畑を歩んできた。

 それが社長の椅子を射止めたのは、DVDの規格争いでソニーを破るという大金星を挙げたからだ。

 1990年代初頭、ビデオカセットに代わりDVDの時代が到来した。しかし当初はソニー・フィリップ陣営と東芝・松下・日立陣営が規格を巡り真っ二つに割れていた。CDで実績のあるソニーは自信満々だったが、勝利したのは東芝陣営だった。

 規格争いの始まる前、米国東芝会長だった西室氏は米映画大手タイム・ワーナーへ出資した。これでハリウッドに知己を得た西室氏は、DVDの規格争いでこのネットワークを最大限活用し、ハリウッドを味方につけることに成功する。これが決め手となって、DVDの規格が決まった。

 「野武士の日立、公家の東芝」と言われたように、東芝はよくも悪くもおっとりとした性格だ。その中にあってハリウッドとの交渉をまとめ、ソニーとの対決に勝利した西室氏の交渉力・行動力は際立っていた。

 当時の東芝は「集中と選択」により事業構造の大幅変革に取り組んでいるところだった。その東芝にとって、過去の経営者にないバイタリティを持つ西室氏は輝いて見えた。それが異色の経歴を持つ社長誕生へとつながった。

 いわば地位を実力によって勝ち取った。それだからだろうか、その地位への執着も人一倍だった。2000年に会長となるが2003年には指名委員会委員長となり、次期社長の任命権を手中に収め、事実上の院政が始まった。そして社長に指名したのが西田厚總氏だった。

NEWSポストセブン
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