記事詳細

旧職の地位にしがみつく“定年あるある” 組合の集まりに顔を出しても「おれが、おれが」 (1/5ページ)

 プロレスラーの武藤敬司氏が「思い出と戦っても勝てねえんだよ」といったという。武藤氏がどういうつもりでいったのか分からないが、「思い出」の大切さに関しては同感である。私は思い出と戦ったりはしないけど。(勢古浩爾)

 思い出として残っているものには不朽の価値がある。そんなものと戦って、勝てるはずがない。現前の人物や光景のほとんどは思い出になりきれず、ただ消えていくだけのものである。思い出とは濾過されて残った良い記憶のことである。嫌な不快な記憶は、別の場所に澱(おり)のようにたまった毒である。廃棄するにかぎる。思い出は、良き日々や人々の懐かしさであり、過ぎ去った人生の彩りであり、ばかばかしい現在のなかの慰藉(いしゃ:なぐさめていたわること)である。

 未練というものがある。過去の形骸でしかない自分をいつまでも引きずっている。思い出は現在の自分に潤いを与えてくれるが、未練は現在の自分を掘り崩すだけである。未練とはくすぶっている自我である。自分で水をかけて消すこともできず、といって自分で火をくべて、再び赤々と燃えあがらすこともできない。ただ煙を出してくすぶっている自我に自分がむせているだけだ。そのむせ返りが自分でも納得できず、その不快さを周囲にまき散らす。それで浅ましくも自分の存在を知らしめようとする。

■くすぶり続ける自我

 よく持ち出されるエピソードで、再就職の面接にきた定年退職者が、「前の仕事はなにをしてましたか?」と聞かれて、「部長をしてました」という話がある。これが、気位が高いだけの使えない退職者の典型として笑い種にあげられるのだが、私はその元部長がちょっとかわいそうな気もする。足を組んで椅子にふんぞり返ってそういったのなら正真正銘の肩書バカだろうが、その元部長の場合は、面接の緊張感から来たただの言い間違えだったのではないか。

ITmedia ビジネスオンライン
zakzakの最新情報をSNSで受け取ろう