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【秘録 今明かす「あの時」】社員の就職支援続ける元山一トップ営業マン 同志100人集め「完全復活」へ (1/2ページ)

★山一証券自主廃業から20年(上)

 「まるで火事場泥棒。やり方が下品だ」

 山一証券千葉支店で副支店長だった永野修身(おさみ)は、39歳だった20年前を振り返ると、いまでも怒りがこみ上げる出来事がある。

 1997年11月24日、4大証券の一角だった山一は、含み損が出た有価証券の「飛ばし」などによる約2600億円の簿外債務が発覚し、自主廃業を宣言した。59歳だった社長の野沢正平は「社員は悪くありません」と涙ながらに訴えた。

 翌朝、支店の窓から外を見ると、解約を求めて並ぶ客に別の大手証券の営業マンが声をかけ、名刺を配っていた。「思わず『支店長呼んでこい』と怒鳴りつけてやった」

 法政大時代は体育会少林寺拳法部でケンカに明け暮れ、「(漫画の)『嗚呼!!花の応援団』の世界だった」。就職活動では証券会社で名前を知っていたのは山一だけだった。料亭で芸者遊びができてボーナスもドンと来るという噂を聞いて入社を決めた。

 バブル期には経済誌で「証券業界のトップ営業マン」と紹介された。“芸者遊び”の夢もかなえ、「外資から年収1億円での引き抜きもあった」が山一に残った。

 自主廃業が告げられた当時、部下は82人。飛び込み営業で彼らの再就職先を探した。「野沢さんの会見のおかげで多くの求人情報が集まったが、会社側に吟味する機能が失われていて、中にはブラック企業のようなところもあった」

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