「稲田屋本店」梅原俊治社長 300年以上続く蔵元の存続かけ目標まであと1店

★「稲田屋本店」梅原俊治社長(71)

2013.11.04

 日本酒が売れない時代、エンドユーザー獲得のため、東京で飲食店の経営に乗り出す地方の蔵元がいくつもある。成功例の1つが「酒処 稲田屋」だろう。稲田屋本店の梅原俊治社長(71)は、長兄が引き継いだ「稲田酒造」(鳥取県米子市)の酒を売るため、長年のサラリーマン生活と決別し、56歳で飲食業へ転身。現在、9店舗まで増えた稲田屋で蔵元の歴史とおもてなしの心を広めている。

 1942年、鳥取県の山間の村で7人兄弟の5男坊として生まれる。早稲田大大学院修了後、50代半ばまで一貫してサラリーマン生活を送っていた。状況が一変したのはバブルの崩壊だった。梅原氏のもとに、12歳離れた長兄から相談が持ち込まれた。長兄は米子で稲田酒造の経営を引き受けていたものの、内情を知ると台所は火の車。思うように酒が売れず、「どうにかできないか」と頼ってきたのだ。

 そこで、一緒に上京し、東京で食材商社を経営していた三男の兄とも共同で出資して「稲田屋」を設立。2人の兄はそれぞれ会社を経営していたので、梅原氏が会社を辞め、経営のかじを取ることになった。

 1999年、日本橋に1号店をオープン。業態は、自身がサラリーマン時代、「軽い接待にも使え、プライベートでも利用できるような店があればいいな」と思っていたような、一般の居酒屋よりも少しアッパーな店。

 「縁あって元中央区の小学校跡地、日本橋プラザビル1階に出店できました。コンサルタントの先生にも入ってもらい、従業員にも恵まれ、ホテルの総料理長からアドバイスをいただきました」

 300年以上続く蔵元の存続をかけ、10店舗を目標にスタートした店は9店まで増えた。

 いずれは息子(現・専務)にバトンタッチを、と思っているが、当面の夢は、「海外へ日本酒を通して蔵元の歴史とおもてなしの心を広めていくこと」。そして、「オープン当初から意識してきたことですが、地元鳥取や山陰の地産品を今まで以上に首都圏でPRしていきたい」。兄弟の絆で生まれた店は、東京と鳥取、日本と海外を絆で結んでいくに違いない。(細見昇市)

 ■ほそみ・しょういち 1963年生まれ、京都市出身。大学卒業後、リクルートを経て93年に戦略型求人広告代理業務「キイストン」を設立。「波乱」に満ちた経営者ら2万人と会ってきた経験を生かし、人材採用コンサルタントとして活躍。当連載名もあえて「波乱万丈」とした。著書に「リクルート式 一瞬で人事担当者の心をつかむ方法」(PHP研究所)など。

 

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