小銭で食べられるものを大事に 「喜多方ラーメン坂内」麺食・中原明会長

★「喜多方ラーメン坂内」麺食・中原明会長(63)

2014.12.29


「喜多方ラーメン坂内」小法師武蔵小山店【拡大】

 北海道の日高市に生まれた中原明さん(63)は、7人兄弟の末っ子で、酪農業を営む父から逃げ出すように日本大学に進学し、上京する。住み込みで新聞配達をしながら大学に通うが、中退。様々な仕事を経験した後、わずかな資金をもとに独立すると同時に、料理人の修業も始めた。

 その後、立ち食いそば屋の業務委託が縁で、国鉄(現JR)の関連会社で若いながらも取締役を務めることになる。やがて、国鉄民営化の1年前、その会社での最後の仕事と決めて取り組んだ一つのプロジェクトが中原さんと喜多方ラーメンを結びつけた。

 「当時の社長が新橋でラーメン店をやろうと言い出した。最初はなぜと思っていたが、私はポケットに入っている小銭で食べられるものを信条として大事にしていた。ラーメンこそ、そういう気取らない庶民の食べ物だと思い、新業態の開発プロジェクトを開始した」

 大阪にうまい塩ラーメンがあると聞いて出掛けた帰りの飛行機だった。近くの座席から「喜多方のラーメンって知っているか?」との会話が聞こえてきた。当時はインターネットなどない。口コミだけが頼りの時代だった。中原さんはすぐに喜多方へ飛び、タクシーの運転手に連れていってもらったのが「坂内(ばんない)食堂」だった。

 当時は店主の坂内新吾さんも健在で、一升瓶の酒を何本も空けていた。事情を話しても、もちろん答えは「ノー」。ただ、新吾さんには気に入ってもらえた。中原さんも、新吾さんの作るラーメンにひと目惚れした。

 最初はなかなか認めてもらえなかったが、中原さんの包丁さばきをみて、「これは」と思ったのだろう。1週間後には、坂内の「のれん」を持ち帰ることが許された。中原さんはのれんを抱いて東京にもどり、1987年4月、東京・新橋に「喜多方ラーメン店」を開業。「ポケットの小銭で食べられるものを大事にする」との中原さんの信条が喜多方ラーメンで見事に花開いた。

 27年前に中原さんが抱いて持ち帰ったのれんは、現在、FC店を含め、首都圏を中心に58店舗を展開するまでに大きく広がったのだった。 (細見昇市)

 ■ほそみ・しょういち 1963年生まれ、京都市出身。大学卒業後、リクルートを経て93年に戦略型求人広告代理業務「キイストン」を設立。「波乱」に満ちた経営者ら2万人と会ってきた経験を生かし、人材採用コンサルタントとして活躍。当連載名もあえて「波乱万丈」とした。著書に「リクルート式 一瞬で人事担当者の心をつかむ方法」(PHP研究所)など。

 

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