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【大鶴義丹 それってOUTだぜ!】根津甚八さんは稽古場のほうが格好良かった 順番に劇団を辞めテレビなどで活躍 (1/2ページ)

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 父(唐十郎)と母(李麗仙)が主宰していた劇団「状況劇場」が解散したのは私が大学生になった頃であった。それはバブル全盛期の1988年。奇しくも私がオーディションに合格し、映画「首都高速トライアル」の主演が決まった年だ。

 主演映画の台本をもらった瞬間、自分の中に長年流れていたものの温度が変わったと感じた記憶がある。好きであろうとなかろうと共に暮らしてきた「状況劇場」という存在。これで本当にオサラバだと意識したとき、そこに寂しいという気持ちは正直なかった。

 それには、私と状況劇場の関係図を説明する必要があるだろう。私の両親が若き日より主宰し、それまでの新劇という流れに反骨するかのようにアングラ演劇という手法を確立していったという昔話を知っている方は多いと思う。

 だが、私が状況劇場という存在と実際にどのように暮らしていたかをリアルに知る方は少ない。

 3歳くらいまでは東京・南阿佐ヶ谷の平屋の借家が、劇団の稽古場兼劇団員の住み込み所、私と両親の自宅だった。60年代後半の話だ。その借家が郊外の文化サロンのような施設である訳もない。

 練馬や高円寺などに引っ越しを繰り返したが、私が7歳になる頃、劇団の人気が高まり収入が増えたのか、杉並の浜田山に中古の家を買った。その2階を稽古場に改築し、私たちは1階に住むスタイルに落ち着いた。

 そしてその頃より状況劇場の人気は子供の私が端から見ていても感じられるようなことになる。

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