記事詳細

【大鶴義丹 それってOUTだぜ!】「父・唐十郎との対話」としての戯曲 ビジネスパートナーとしても破綻した父と母 (1/2ページ)

★(4)

 2013年、父の唐十郎が朝日賞をいただいた。脳挫傷の回復がまだ十分でなかった父の授賞式のサポートをするために帝国ホテルに出向いたとき、久しぶりに劇団・新宿梁山泊を主宰する金守珍さんと出会った。

 金さんは父と母の李麗仙が主宰した劇団状況劇場で、1980年代初頭から中期における主要メンバーであった。同期の六平直政さんや佐野史郎さんの3人で、状況三羽烏と呼ばれたともいう。

 金さんは劇団を退団後、87年に新宿梁山泊を旗揚げし、2001年には映画『夜を賭けて』で監督も務めていた。

 「梁山泊で、そろそろ親父の戯曲を演じたらどうだ」

 けがの後遺症を隠せない父を前に、彼は突然そう言った。

 1988年の状況劇場の解散後、父は劇団唐組を作り、私もその稽古場や公演に顔を出すことは多々あったが、父と直接に芝居をすることはなかった。理由は男としての反抗心と、マスメディアの世界で頑張っているという自負である。

 20代後半のある時期、俳優としての在り方を見失いかけたことがあり、父の劇団である唐組で芝居をしてみたいという気持ちになった。昔と変わらずに精力的に芝居を作っていた父を前に、その言葉が口先まで出かけたことがあったが、ここで甘えたら父には一生負けだと舌を噛みしめた。

 そのときより20年近い時間が過ぎ、当時の元気なときからは、父は想像もできない状態になってしまった。その父の体を支えながら聞いた金さんの言葉に、心の奥に放置していた大きな塊がグラリと揺らいだ。

zakzakの最新情報をSNSで受け取ろう