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【大鶴義丹 それってOUTだぜ!】父・唐十郎の戯曲演じる2つの意味 親子の対話と違和感憶えていた少年時代への回答 (1/2ページ)

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 父、唐十郎の戯曲を、1980年代の状況劇場で大番頭だった金守珍さんが主宰する新宿梁山泊で演じるようになり、今回の「腰巻おぼろ 妖鯨篇」で4作目、4年という時間が過ぎようとしている。

 75年に演じられ、父の戯曲の中でも最長と言われている作品だ。当時の上演時間は4時間半近くで、地方公演などではさすがに短縮したという。

 この芝居はよく覚えている。それは若き日の母、李麗仙が半裸になるような場面が多々あり、子供ながらにハラハラしたからだ。

 新宿梁山泊で父の戯曲を演じることは、一役者としての難解な芝居に挑戦すること以外にもふたつの意味がある。

 ひとつはけがの後遺症からか、もう昔のようには語ってくれない父との対話である。何十作とある父の戯曲を演じるたび、逆に彼が元気なときにはできなかった親子の対話をしているような気持ちになるのだ。

 ふたつは自宅兼稽古場だったあの空間と、戸惑いながらも共に暮らしていた自分という少年への回答だ。稽古場なのに自宅であるが故、私だけが芝居をしていなかった。だからこそ私だけが感じる不可思議さに慣れ親しみながらも、いつも違和感も覚えていた。

 当時の状況劇場を彷彿させる新宿梁山泊の稽古場で芝居をしていると、自分があの頃の劇団員になった気持ちになる。そして壁1枚へだてた隣にはその光景を見ている少年の自分がいるような気になる。

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