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【篠木雅博 歌い継ぐ昭和 流行り歌 万華鏡】成功の裏に“ゴールデンコンビ” 沢田研二「時の過ぎゆくままに」 (1/2ページ)

 いつの時代も若い女性は“星の王子さま”に憧れ、胸を焦がすものだ。1960年代、熱狂的な少女を中心に人気を博し、国民的アイドルに成長したのが沢田研二だ。今月からデビュー50周年の記念ツアーをスタートさせた。

 このツアーではちょっとした話題が。直前に舞台で僧侶役を演じたこともあり、頭はほぼ丸刈り。ライブでかつての“ジュリー”の映像を流し「あれはオレじゃないからね」と自虐ネタまできかせたのだ。

 まさに王子さまだったジュリー。GSブームの67年、「ザ・タイガース」のボーカルとして「僕のマリー」でデビュー。次の「シーサイド・バウンド」が爆発ヒット。「モナリザの微笑」「君だけに愛を」とヒットを連発しGSの頂点に立った。

 鳥取生まれの京都育ち。京都のダンス喫茶でアルバイトしているところを、サリー(現・岸部一徳)に見込まれてバンドに加入。大阪のジャズ喫茶に出演すると、多くの業界関係者から声がかかり、大手プロダクションと契約。上京後、すぐに音楽番組への出演が決まり、「ザ・タイガース」と名づけられた。

 当時、ロックは反体制的なところが売りだったから、恵まれた環境は異質といえる。グループとしては71年の武道館コンサートで解散。

 その年にはソロデビュー。72年の「許されない愛」がトップ10入りすると、73年には「危険なふたり」でソロ初の1位を獲得。75年の「時の過ぎゆくままに」でスターダムにのし上がった。

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