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【歌い継ぐ昭和 流行り歌 万華鏡】森進一の「襟裳岬」、字余り的な曲で事務所と意見対立も本人の要望で両A面に (1/2ページ)

 「襟裳岬」がにわかに注目された。北朝鮮のミサイルが襟裳岬の上空を通過したのだ。“何もない春”ではなく、“ミサイルが危ない秋”になってしまった。

 森進一といえば、「襟裳岬」に代表されるように、歌詞のワンフレーズを聴けば、その歌のすべてが聞こえるくらい説得力ある歌唱だ。

 1965年、「リズム歌合戦」というテレビ番組で、アントニオ古賀がカバーしたラテン曲「その名はフジヤマ」を歌って優勝。チャーリー石黒にスカウトされた。

 ポップスでデビューかと思われたが、若いわりに声がつぶれ気味だったため、アイドルポップスでは勝てないということで演歌デビューに。本人は従うしかなかった。作曲家の猪俣公章氏に預けられ、歌のレッスンをした。演歌界では甘いマスクとハスキーボイスは個性が引き立った。

 森の歌をよく聞くと、演歌歌手のこぶしとは違う。独特の揺れるようなビブラートを効かせたものだ。切なく苦しそうな表情にハスキーな声は臨場感たっぷりである。その歌い方を物まね芸人だけでなく、素人もすぐにまねした。身体を上下させ、オーバー気味に声を震わせると森になった。

 森は甲府で生まれ、母子家庭で転々とするが、母親の故郷の鹿児島で育ち、集団就職で大阪に出ると、仕送りのため少しでも賃金がいいところに移り、17も職を替えたという。こうした苦労話と森の歌唱が重なり、たまらなくすすり泣く観客が多かった。

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