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【壇蜜のもっとハァハァしてる?】「ピンチ談義」は盛り上がるけど… チャンスに巡りあう不平等さに諦め (1/2ページ)

★其ノ弐百拾九

 残念ながら「チャンスは皆に平等にはやってこない」と考えるほうが、生きていく上で楽なのかもしれないと思うようになりました。この件に関しては、30歳を過ぎてようやく諦めが付いた次第です。

 学生時代、美人で聡明な友人たちが読者モデルとして活躍していたり、多くの男性からプレゼントや誉め言葉を受け取ったりして、その後、モデルデビューや素敵な彼氏をゲットする流れを目の当たりにしていたときは、「何だよ、不公平だなぁ。結局持ってるやつが搾取していくんでしょー?」と悪態をつくときもありました。

 しかし、20歳後半から生まれ持っての性質や容姿、家庭環境などをネチネチ恨んでも仕方ないと諦めの準備を始め、今では「もうチャンスをどうするかはマネジャーに任せて、自分が持っているもので仕事していかないと」という気持ちへと到達しました。

 諦めの準備として、己の限界やダメさ、チャンスに恵まれている人々をじっと見ながら自分の矮小さを確認する作業をしてきたので、多少卑屈にはなってしまったかもしれませんが…。

 一方、「チャンス」と裏返しのように表現される「ピンチ」という言葉とは随分縁があるように思います。寝坊して移動の列車に間に合わなさそうとか、書き上げた原稿のデータが消えてしまったとか、買い物をして会計中お財布を忘れたのに気づいたとか、ここ2カ月で起きた軽いピンチを挙げよと言われたら、一気に5つは出てくるでしょう。

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