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【秘録 今明かす「あの時」】石原裕次郎さん、病院のエレベーターで聞いた“最後の言葉” 「もう絶対に映画は作らない」 (1/2ページ)

★番記者が語る裕次郎伝説(上)

 今から30年前、昭和に燦然(さんぜん)と輝いた“希望の星”が旅立った。俳優、石原裕次郎さん(1987年7月17日没、享年52)だ。スポーツ紙で「裕次郎番」を務めた記者(現在はフリー)が裕次郎さんの貴重な秘話を明かす。

 スポーツ紙の放送担当記者になって2年後の72年、映画界のスーパースター、裕次郎さんが日本テレビ「太陽にほえろ!」(86年まで、718回)の主演に決まった。

 テレビ解禁は裕次郎さんが38歳のとき。一方で石原プロモーションは渡哲也さんを牽引車にして「西部警察」(テレビ朝日)の制作にあたった。

 その博多湾船上ロケでのランチタイムで、私は飲み屋のママに頼まれた色紙を出して裕次郎さんにサインをねだった。すると「おや~、飲み屋にどのぐらいの借金があるのかな?」とズバリ。それでも軽く応じてマジックペンを走らせた。

 裕次郎さんと先輩記者と私の3人で赤坂の東急ホテルのバーで2時間ほど談笑したのも懐かしい記憶だ。

 話題は、石原プロの映画製作で、裕次郎さんは新作着手に踏み切れない理由を初めて明かす。独立プロが製作した映画を公開する場合、映画会社の映画館を借りるが、彼は「トップオフ制度(映画を公開する前に映画館に営業収入を先払いする制度)には参ったよ。宣伝などで粘って観客動員を増やそうとしても、映画館に営業収入を先払いしないと途中で公開を打ち切られる。これでは独立プロの台所はもたない」と厳しい現状を話してくれた。

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