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【秘録 今明かす「あの時」】『岸壁の母』と交換のスクープ写真、歌詞カード渡し「病室の窓10センチ開けて」 (1/2ページ)

★番記者が明かす裕次郎伝説(中)

 「太陽にほえろ!」(日本テレビ)や「西部警察」(テレビ朝日)を通して、石原裕次郎さんとお会いする機会は増えていくが、裕次郎さんは「病との闘い」を繰り返す。そのため芸能マスコミの「闘病中の取材合戦」は一段と激しくなっていく。

 1981年5月8日、47歳の裕次郎さんは胸部大動脈瘤(りゅう)という難病で倒れ、東京・信濃町の慶応病院に運ばれた。生存率5%もないオペに、15人の外科医が病院の威信をかけて挑んだ大手術だった。

 奇跡的に一命を取りとめた裕次郎さんの容体はスポーツ紙が「裕次郎闘病日誌」の形で連日取り上げた。

 どこがスーパースターの写真をスクープするか? 各社の記者は休日返上で病院に詰めた。当時、私は某スポーツ紙の番記者だった。入院10日目の5月18日の午後のこと。院内にいた「コマサ」と呼ばれていた石原プロの番頭、小林正彦専務が満面に笑みを浮かべて私に近づき、声を落として「おい、社長(裕次郎さん)が立ち上がり、自分でフォークを使って肉ジャガを食べたんだ」と明かした。

 そして、「しかも歌いたい歌があると頼まれたんだ」と言う。

 裕次郎さんのリクエストは「岸壁の母」。石原プロには、なかにし礼氏が作詞した社歌があったが、宴会のときには自然に「岸壁の母」の合唱となり、最大限に盛り上がる。小林専務は「石原プロの俳優と社員はみんな母親思い。だから、この歌が社歌のようなものなんだ」と話し、そして「『岸壁の母』の歌詞カードが欲しい」という。

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