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【激震 芸能界契約異聞】たけしの独立は今後の「お手本」に 辞めてからも気遣い細やか (1/2ページ)

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 ビートたけし(71)が太田プロを辞めてオフィス北野を設立したのは1988年。揉めることはなく、円満な契約解除だった。

 その時、たけしは全盛期。『オレたちひょうきん族』をはじめ、テレビ各局に冠番組を持つスーパースター。たとえテレビ局の社長といえども、文句は言えない。

 もしも事務所が、たけしをテレビから排除しようとしても、絶対にできなかっただろう。タレントが事務所よりも圧倒的に強かったから、けんかにならなかったのだ。

 たけしの気遣いも実に細かく、辞めてからも系列の出版社から本を発行するなど、協力体制を築いていた。

 このケースは、芸能界の今後のお手本になる。歌手が独立する場合、興業権を所属プロに委ねるのを条件とする場合が多い。たけしが委ねたのは出版権。物別れに終わるのは、お互いにメリットがない。

 そのたけしが目をかけていたのは俳優の西島秀俊(46)だ。しかし事務所の移籍を引き換えに、民放ドラマに5年間出演禁止という条件を飲まされたという。彼は、テレビから遠ざかっている間も、腐ることなく映画館に入り浸り、年に300本以上を観賞、演技派の役者に成長した。

 関西はちょっと事情が違う。在阪テレビ局は、吉本なくしては番組が成り立たない。たけしが独立したのと同じ年、人気絶頂の太平サブロー・シローが吉本をやめ、東京の芸能事務所に移籍した。そして、仕事がまったくなくなった。サブローはその後、吉本に泣きを入れ「故林正之助会長の墓参り」「3カ月の無給」という条件を飲んで吉本に復帰している。

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