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【篠木雅博 歌い継ぐ昭和 流行り歌 万華鏡】中国で活動禁止、活路求め日本で再デビューしたテレサ・テン「つぐない」 (1/2ページ)

 テレサ・テンは昭和歌謡の歌姫として大衆の心の中に今も生きている。

 1974年、「今夜かしら明日かしら」で日本デビュー。2作目の「空港」がヒットして、第16回レコード大賞の新人賞を受賞した。

 僕は業界に入りたての頃で、洗足池の近くにあった作曲家、猪俣公章さんの自宅で、晩ご飯をごちそうになりながら曲作りの雑談をさせてもらっていた。

 ある日、できたばかりの曲を聞かせてもらったのが三連のリズムの「空港」だった。感想を求められたので「深夜の飛行機の離陸が目に浮かぶようだ」と答えた。歌うのは香港で有名なテレサ・テンだと言われた。

 数日後、銀座のライブハウスに彼女が立った後、銀座のすし屋で紹介された。彼女は20歳。初々しくえくぼが愛らしく礼儀正しい。スラっとした容姿で、チャイナ服のスリットからのぞく足がきれいなものだから、恥ずかしながら新米の自分は緊張した。

 香港や台湾などでアジアの歌姫として活躍するが、79年、インドネシアのパスポートで入国しようとして国外退去となった「パスポート事件」が起きた。正式なパスポートだったが、当時の政治事情で不運な結果となってしまった。

 83年に香港で15周年ツアーを開催し、10万人を動員。中国共産党は彼女の影響力を恐れ、中国国内で放送禁止にしたため、活動を日本に求め、再デビューしたのが84年の「つぐない」だった。

 有線に強いテレサはたちまち火がついた。と、同時にカラオケブームに乗って、女性が歌いだした。愛を償うのに女から身を退く「つぐない」。「愛人」は一緒になれずとも今は見送る女でいいと強い献身性を歌った。

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