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【篠木雅博 歌い継ぐ昭和 流行り歌 万華鏡】常識を覆すハスキーボイス「演歌の女王」 八代亜紀『なみだ恋』 (1/2ページ)

 八代亜紀(67)は熊本県八代市出身。父親の浪曲やレコードを聞き歌手に憧れた。中学を卒業すると地元のバス会社のバスガイドとして就職するが、15歳で上京してクラブ歌手になる。勇気のある行動である。今と違いプロ歌手になる門戸は狭かった。

 当時バスガイドは女性の花形職業だった。僕は高校の修学旅行で九州を2日間、バスで回った。そのときのバスガイドは地元の民謡から流行歌まで披露し、最後の日には「忘れな草をあなたに」を涙を流しながら歌ってくれた。2日も一緒にいるとなじんでしまい、彼女の住所を聞いて手紙まで書いたものだ。

 クラブ歌手はナイトクラブ、キャバレーと呼ばれる夜の社交場に専属して歌う。生演奏や歌ありで、前座にはコントや手品もあった。最後はチークダンス。酔客相手だから時にはきついヤジも飛んだ。

 ようやくレコード関係者に声をかけられ、1971年に「愛は死んでも」でデビュー。そして73年の「なみだ恋」がミリオンヒット。上京から8年がたっていた。この時代の苦労話を本人が話したことはない。その後も「しのび恋」「愛ひとすじ」(ともに74年)とヒットを連発する。

 彫りの深い顔立ちで、ロングドレスで化粧は少々濃いめにも見えた。それをギャグにもされたが、実際はスッピン美人である。

 それまでの女性歌手はかれんで美声が主流だったが、彼女は低音でハスキー。和服も着ない異質そのものだった。異質でスターになる人は過去の枠にはまっていないものだ。そして常識を覆すパワーをもっている。

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