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【生誕100年 女優・原節子伝説】引退を決意させた?小津安二郎監督の死 『小早川家の秋』 (1/2ページ)

 原節子と小津安二郎監督コンビの最後の作品。

 当時、大手映画製作会社には「五社協定」(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)があり、お抱えの監督や俳優に縛りがあった。そのため松竹専属だった小津は本来なら東宝では撮れなかったが、東宝の藤本真澄プロデューサーが小津ファンであり、宝塚映画(現・宝塚映像)創立10周年記念だったことから巨匠を招聘できたわけだ。

 それも松竹の『早春』(1956年)に東宝のエース、池部良が出演した際、池部には東宝の製作本部長から「あなたは、先生に気に入られて、東宝へ来て下さるように、それとなくお話ししておいて下さい。あなたの使命は重大です」と指令が出ていたと、池部は著書『心残りは…』で記している。

 本作の読みは正しくは「こはやがわ」。京都の造り酒屋。長男の未亡人、秋子(原節子)に再婚の話があった。次女の紀子(司葉子)にも縁談話が。しかし紀子は大学の友人、寺本(宝田明)が好きだ。同じころ当主の万兵衛(中村鴈治郎)は、かつての愛人、つね(浪花千栄子)の家に通っていた。そんなある日、万兵衛がつねの家で死んだ。葬式の日、紀子は寺本の札幌転勤についてゆく決心をした。

 ラストで葬儀の列が橋を渡るシーンのあるカットで川の流れが逆になっていた。試写で、そのミスに気がついたのは藤本真澄だけだった。

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