記事詳細

【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】衣装、髪形…見せ方にもこだわり 「少女Aはポニーテール」自ら提案 (1/2ページ)

 『少女A』に続く『セカンド・ラブ』の選曲は中森明菜のイメージ戦略としても大成功だった。

 ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の邦楽宣伝課でプロモートを担当していた富岡信夫氏(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)は振り返る。

 「明菜の歌唱力はあえて比較するなら岩崎宏美と並んでいました。商店街のみかん箱の上でも生で歌わせることのできる子でした。しかも表現力もありました。なのでシングルは、ちゃんとコンセプトを持って選曲さえ間違わなければ、絶対に売れると確信していました」

 明菜は気性が激しく、自身が納得しないと表情に出た。それが「わがまま」や「生意気」と評されたことも多かった。

 「確かにマネジャーも何人か変わっていましたね。ウチの会社にはよくお母さんが来ていました。現場のことで不満や意見を言いに来ていたのかもしれませんが(制作宣伝を統括していた)寺林(晁)氏とは妙に気が合っていたようです。明菜はお母さんの言うことは聞いていたので、寺林氏のことは信頼していました。僕自身も明菜には言うべきことは言っていましたが、大きなトラブルは一度もなかったです」

 小さい頃から体の強い子ではなかったという。

 「お母さんも体調は心配していました。特に明菜は足が弱くて、ずっと立ち続けているのが苦手でした。撮影でも体調を崩すことが多く、よく控室でマッサージをしてあげました。自慢じゃないですが、僕はマッサージがうまかったんですよ。桃井かおりのマネジャーだった頃は、『前略おふくろ様』(日本テレビ系)の制作現場で、桃井や(脚本家の)倉本聡さんをマッサージしていました。あと、樹木希林さんにも頼まれたことがありましたね」

関連ニュース