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【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×宮里潤(1) 僕にとって90年代はまるまるモラトリアムというか… (3/3ページ)

大谷:いわゆる、その頃に流行していた日本の歌謡曲とかは聴かなかったんですか?

宮里:そうですね。当時はボウイとか、あと、バービーボーイズみたいなバンドとか、東京にいたら見に行く機会もあったかもしれないんですけど、いずれにしても全然近くない音楽だったんで、距離的には洋楽と一緒というか。それで、プリンスから入って、好きになったのは、日本に紹介されて間もないばかりのヒップホップなんですよ。

大谷:へえ。

宮里:それこそ、いとうせいこうさんの番組とか、あと、近田春夫の、あれ、なんて番組だったかなあ。週に一回やってた……そこで近田さんとかが紹介していた、エリックB&ラキムとかを買って。で、「中村とうようはヒップホップは嫌いなんだなあ」とか思いながら読んだり聴いたり。「LLクールJ」っていう名前がダサい、とか書いてて(笑)。で、そこからそのままブラック・ミュージックの本流というか、JB(ジェームス・ブラウン)とかPファンクとかを辿って聴くようになったんですね。

大谷:そうなんだ。それは、いわゆる当時の田舎の中高生としてはかなり例外的な感じじゃないですか? 髪型とか真似したりした?

宮里:アディダスのスーパースターを紐抜いて履いたりはしてました。

大谷:わはは(笑)。それはやるんだ。

宮里:そういうもんかと思ってやって、親に怒られた(笑)。確かにブラック・ミュージック好きな人は周りにはいませんでしたね。

大谷:まさにRun-D.M.C.とか来日した頃ですね。

宮里:そうそう。だから、という訳でもないけど、ECDとか高木完って、ラッパーとしてよりも前に、ミュージック・マガジンでライターとして名前を知っていた。そんな感じの中学生でした。その辺りで自分の音楽の趣味の基盤が出来たんで、そういうのは記憶に残ってますね。で、90年代になると、音楽を聴かない時期もちょっとあったりして、どちらかといえば80年代の方が音楽の記憶がはっきりしてますね。(続く)