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【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×宮里潤・対談を終えて 音楽だけではない 「忘れられた名作」を「新作」として発見する (2/3ページ)

 音楽以外でも、第一回目の速水くんとの話でも出てきたのですが、僕にとって80年代の「パソコン雑誌」は、海外の最新情報ーー具体的に言えばアメリカ西海岸で流行している最先端のホビー&サイエンス&エンタテインメントを伝えてくれる貴重な情報源でした。もちろん、子供の頃にそういう風に思っていた訳ではありませんが、とにかくそのあたりの情報がかっこよく思えた。SFとファンタジーもパソコン雑誌経由で勉強したと言っても過言ではありません。

 1980年前後のPCはCPUはエイトビット/言語はBASIC/記録媒体はカセット・テープがメインという「マイコン」時代で、読者が投稿するゲームその他のプログラムが多数掲載されていて、その中に当時の青年たちの「サブカルチャー」のセンスが大量に混ざり込んでいたように思います。

 例えば僕はYMOの名前を「マイコンBASICマガジン」の常連投稿者であった森巧尚氏のプログラムから知りました。彼が自作について、「いつもはYMOばかり聴いていて、ゲームもそんなイメージなんですが、今回はフュージョンとか、シャカタクっぽい作品かも……」云々と書いていて、そうか、この「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」とか「マルチプライズ」とかいったタイトルはYMOというバンド? の曲? なのか。聴いてみたい! と、ここではじめて、自分から情報を探して辿って音楽を聴くという欲望に火がついたのでした。

 プログラムをちまちま入力しながら、その時に僕の頭の中で鳴っていた妄想の音楽は、いろんなイメージが勝手に拡大乱反射された、そりゃーもうとてつもなく格好いいもので、しかし、実際に「ライディーン」や「テクノポリス」がYMOの曲だと知ったときは(これがそうなのか…)と軽く驚き、呆然としながらも、「いや、ここには自分がまだ知らない何かサムシングがあるに違いない」と、しつこく食い下がっているうちに、だんだん視野が明確になってくる、と言うような経験を、10代の前半でたっぷりやったことが、現在の教養の基盤になっていると思います。

 90年代に入ってからは、そういった妄想をドライヴさせる異文化経験はかなり減ったんじゃないか、と個人的には思っています。時代的にも、個人的な状況からしても。

 それで、宮里さんが話していた「文学」については、うーん、その頃は何を読んでいたかなあ。覚えているのは、大学の図書館で白水社とか筑摩とかの「あたらしい世界の文学」シリーズみたいなものを、よくわからないまま端から読んでいったこと。いわゆる「ヌーヴォー・ロマン」、「ポストモダン小説」の類ですね。多分出たのは70~80年代なので、時代とズレた読書だったと思います。それ以外はほとんど何も読んでいない時期がありました。