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【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×宮里潤・対談を終えて 音楽だけではない 「忘れられた名作」を「新作」として発見する (3/3ページ)

 宮里さんのように、「文学」の方向で「過去の忘れられた名作」を「新作」として発見する、って言う経験は、僕は90年代には全然なかった。言われて初めて、文学方向でもそういったムーヴメントというか、雰囲気があったのだ、ということに気が付かされました。もっぱら「音楽」だけの現象だと思っていたのですが、そういえば「映画」にも同じ風潮があったんだから、「文学」でそれが起こっていても全然おかしくなかった訳ですね。

 いまだに日本文学の歴史には疎いままですが、そのあたりを反映させて、過去と現在をつなぐあたらしい「小説」は、そのころに書かれていたのでしょうか?

 音楽では過去の名作を反映させた楽曲が、90年代にはすでにたくさん作られています。文芸批評家による過去作品の再評価を、きちんと自作に取り込んだ小説家にはどんな人がいたんでしょうか。まったく不勉強ながら、そういったことに興味を持ちました。「リヴァイバル」ブームと、その反映の仕方のあれこれ、ということで、90年代音楽論と90年代文学論を並行して考えるのは面白い試みかもしれません。ではまた来月!

■大谷能生(おおたに よしお) 音楽と批評。ミュージシャンとしてジャズを中心に、さまざまなバンドやセッションで活動。著作としては『平成日本の音楽の教科書』、『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』、『東京大学のアルバート・アイラー』(菊地成孔との共著)、『日本ジャズの誕生』(瀬川昌久との共著)、『身体と言葉』(山縣太一との共著)など多数。