【自伝「ペギー葉山」】「今度こそ男子誕生」の祈りも虚しく私が生まれ

2010.03.19


ペギー葉山【拡大】

 ペギー葉山には、2つの誕生日があります。2人の姉(二女は他界)がいて、それぞれ4つずつ年が離れ私は末っ子です。

 父方の小鷹狩(こたかり)家の先祖は、広島藩主の浅野家家老職を務めたこともある由緒ある家系。母方の祖父は白虎隊の生き残りで、両親とも厳格でした。

 そして親たちの「今度こそ男子誕生」の祈りも虚しく私が生まれたのです。

 よほど落胆したのでしょうか、祖父は1933年11月9日に、東京・四谷で生まれた私の出生届を引き出しに入れたまま出し忘れたため、戸籍上の出生日は1カ月遅れの12月9日になったのです。

 この事実を知ってから、私は年に2回、バースデーを祝ってもらうことにしました。だって、プレゼントもたくさんいただけるし、にぎやかなパーティーは大好きなんです。

 私の音楽のルーツを探ってみましょう。私の家には古ぼけたペダル式のオルガンがありました。母の嫁入り道具の一つで、かつて教会で覚えた賛美歌をときどき弾いていました。

 父も母もクリスチャンで、大正時代としては珍しく教会で式を挙げています。父は若いころ、カナダのバンクーバーに7年間滞在し、そこでキリスト教徒になったそうです。父の声は低音で、とても魅力的でした。

 たしか4、5歳のころ、母方のいとこが上野の芸大のピアノ科を受験するため、神戸からピアノを運ばせて上京。私たちと同居することになりました。

 1日10時間というすさまじい猛練習の始まり。昼間はハノンや難しいクラシックの曲を何度も弾いていました。

 いとこはレッスンが終わると私にバイエルやピアノソナタなどを美しく弾いてくれました。私もいつか、こんなにピアノが弾けたらいいなと思いました。

 やがていとこは芸大に合格。当時は高級品だったアップライトのピアノを家に置いて出ていきました。母からは「触ってはだめ」とクギを刺されましたが、いとこの弾いたメロディーを頼りに「かもめの水兵さん」や「うさぎのダンス」を内緒で弾いて彼女を懐かしんでいました。

 父母の賛美歌といとこのピアノは、私にとって貴重な音感教育になったのです。

 戦争中は父方の実家のある広島に疎開する予定でしたが、直前になって父が、「広島の近くには呉という軍港がある。海より山のほうが安全だろう」と考え、集団疎開に切り替えて、福島県に行きました。

 私は小学5年生。その後、広島に原爆が投下され、父方の祖父は被爆して白骨化した状態で発見されています。私たち一家は幸運でした。子供心にも原爆の恐ろしさを実感した戦争体験です。

 小学6年で終戦を迎えて四谷に戻り、両親と2人の姉に囲まれて私はすくすくと育ちます。四谷第三小学校出身の姉たちの同級生には歌舞伎の岩井半四郎さん、女優の津島恵子さん、ジャズピアニストの八城一夫さんらがいました。

 ■ペギー・はやま 本名・森繁子。1933年12月9日、東京生まれ。青山学院女子高等部(現・青山学院高等部)卒。52年にキングレコードからデビュー。発表した作品は大ヒットした「南国土佐を後にして」や「学生時代」など約2000曲。日本歌手協会会長。NHKの「ラジオ深夜便」で新曲「夜明けのメロディー」(作詞・五木寛之、作曲・弦哲也)放送中。4月10日は千葉・松戸市民会館で、16日は大阪・サンケイホールブリーゼで、25日には東京・なかのZERO大ホールでコンサートを開く。

 

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