忘れられない「天城越え」合宿…弦哲也が語った吉岡治さん秘話

2010.05.27


石川さゆり(右)の世界を描き続けた吉岡治さん【拡大】

 急性心筋梗塞のため今月17日、死去した作詞家、吉岡治さん(享年76)。吉岡さんとタッグを組み、数々のヒット作を世に送り出した作曲家、弦哲也氏(62)が思い出を語った。

 もう30年以上のお付き合いになります。シングル、アルバム、コンサート劇場の挿入歌、それにレコーディングしていない曲を含めて、2人で作った作品は100曲近くあったと思います。

 忘れられないのは、やはり『天城越え』(石川さゆり)です。伊豆・湯ヶ島にある旅館「白壁荘」に3日間、滞在しました。ここで吉岡さんと経験した歌作りで詞の命、言葉の命を知りました。

 演歌は詞が先にできて、曲をつけます。苦労して言葉を作ってメロディーをつける。『天城越え』もたたき台の詞は出来ていました。

 ところが、吉岡さんは舞台となる土地で発見があって、新しい詞が浮かんだという。こちらはメロディーを分解して、また曲を付ける。「弦ちゃん、頼むよ」と天城山へ散歩に出掛けちゃうんですよ。その合間にメロディー作りに格闘して、できあがって待つ。

 すると今度は、「天城隧道のトンネルを下田へ抜けようとしたら、トンネルに入ったときに風が群れてきたんだ。変えたいんだけど…」って。

 野球でいうと投げたら打って、打ったら投げて…という感じでした。言葉と曲の格闘でしたね。

 だから完成したときは満足して、売れても売れなくても、結果は二の次と思いました。日本酒の熱燗で差しつ差されつ。ワサビの産地ですから、ワサビをすって、焼酎に入れてワサビ酒にしてね、ノドに美味く流れたことは忘れられません。

 歌作りだけではなく、プライベートの旅行もご一緒しました。

 ゴルフして、お酒を飲んで…そんなときも吉岡さんは、どこかでいつもアンテナを張っている人でした。入った駅前の食堂の女将さんを見て「弦ちゃん、あの女将、ワケありじゃない? 結婚したけど子連れで戻ってきたんじゃないかな」と。それが当たってたりしてね。ボクには普通の女将さんにしか見えなかったけれど。

 女性専歌の作詞家だったのは、理由があります。母親を2歳で亡くし、写真もそう簡単に撮れる時代ではなかったから、顔も知らない…。お母さんを知らない寂しさがあったと思う。お母さんに菩薩を感じていたんだろうね。

 男歌を書かないことを貫いた吉岡さんから、10年前、「弦ちゃんのために」と私の35周年を記念した「月光円舞曲(ワルツ)」をいただいた。

 それは男・吉岡治としての想いを書いていたのだと思う。口癖だった「所詮、人生なんてこんなもの」「苦しんで、悩んで、金持ちでも貧乏でも所詮、死ぬときはハダカ。こんなもんだよ」という、吉岡さんの不器用な生き方の照れが込められていたと思います。

■自ら作った“葬式用”の歌に見送られ

 東京・築地本願寺で25日に営まれた葬儀・告別式では、出棺の際に「月光円舞曲(ワルツ)」が流れた。

 この曲を当時収録したキングレコードの沢目昭ディレクター(59)が秘話を明かす。

 「終の棲家を歌った曲で、吉岡先生は『自分の葬式のときに流そうと思っているんだ』と仰っていました。冗談が好きな方でしたから、みんな軽く聞き流し、弦先生は軽快なリズムを合わせました。それが余計に物悲しい。『歌いたい』という歌い手に、吉岡先生は『葬式用だから』と断ったそうです」

 

注目情報(PR)