【元気のヒミツ】人に触れ、観察し、面白がる 脚本家・横田理恵さん

★大きな仕事のあとは旅に出てストレス発散

2010.09.02


脚本家・横田理恵さん【拡大】

 「ごくせん」シリーズなど人気ドラマの脚本家・横田理恵(48)。「私は裏方」と、メディアにほとんど出たことがない彼女が、本紙に元気のパワーを語った。

 【32歳でデビュー】

 「物を書くこと、音楽、芝居…好きなことを結んだら、脚本でした。本能で選んだのかな、と」

 脚本家を志したのは20代半ば。大学卒業後に就職した会社を辞めて、米国に滞在しているときだった。帰国すると、外資系PR会社で働きながら、シナリオの学校に通った。

 30歳のころ、NHKのシナリオコンクールで佳作を取った。「仕事になるかも!」と外資系PR会社を辞めたものの、どこからも仕事の声はかからない。そこでまた1年ほど海外旅行。帰国して派遣社員として働いているうちに、読売テレビの企画募集を知り、応募。32歳でアイデア要員として企画を出す形で“脚本デビュー”した。

 【人を描く素質】

 会社員時代の業務(マーケティングリサーチ)は「毎回仕事が違って面白かった」。派遣で働いていたころは「自分のポジションが微妙で面白かったし、“家政婦は見た”みたいにさまざまな会社のいろいろなところが見られて面白かった」。旅行も、「そこに住む人の人生に一瞬でも触れられて面白い」。

 焦って脚本家になろうとしなかった。さまざまな仕事や旅は、他人から見れば“寄り道”かもしれない。でも実は、人と触れ、観察し、面白がることで、『人を描く』脚本家の素質を磨いてきた。

 今も、大きな仕事を終えると旅に出る。「(ストレスを)逃さないと。私は強くない、ヘタレだから」と照れながら。本当は無意識ながら、人と触れ、感性を磨くために。

 【一本道でなくても】

 最近、学生時代の仲間と集まった。若く、輝いていた時代をともに過ごした友人たちも、今は40代後半。若いころとは会話の内容が違う。かつて想像した通りの順調な人生かというと、必ずしもそうではない。

 「20代前半にバブルの恩恵を受けて華やかだった人でも、人生設計通りにはいっていない。天の采配ですね。でも、進むのは結局、本人が選んだ道ですけど」

 面白いドラマには脚本家が伏線を敷くが、個々の人生という最も身近で壮大なドラマで、未来につながる伏線を敷くのは自分自身。だから年齢を重ねるほど、自分の人生に責任が生じる。たとえ、若いころに思い描いた通りの、バラ色の人生でなくても。

 「メインストリーム(主流)から外れた人の話が好き。負け組というか。てっぺんステージから降りて、予定通りにならなかった人生に、どう折り合いをつけて、この先、生きていくか。そこが味わい深い」

 自身も思い描いた通りの一本道を歩んできたわけではない。だから、横田理恵のドラマには、どんな人生でも認め、見守っていくような温かさがある。(ペン・肥谷令子 カメラ・鈴木健児)

 ■よこた・りえ 1962年4月25日生まれ。脚本家。福島県出身。東京女子短期大学卒業後、会社員、米国滞在、派遣社員などを経験し、97年に「心療内科医・涼子」で脚本家デビュー。代表作は「ごくせん」シリーズ、「1リットルの涙」など。日韓共同ドラマプロジェクト「結婚式の後で」が5、12日(午後11時20分)にテレビ朝日系で放送。

 

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