波乱万丈、覚醒剤逮捕も…宇宙戦艦ヤマトプロデューサー転落死の謎

2010.11.08

 人気アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の生みの親として知られる映画プロデューサー、西崎義展(にしざき・よしのぶ、本名・弘文=ひろふみ)さん(75)が7日午後、小笠原諸島の父島の二見港で、停泊中の汽船「YAMATO」から海中に転落、死亡した。昨年に新作アニメ映画が公開され、実写版の公開を来月1日に控えた急死に、いくつかの謎も指摘されている。

 小笠原海上保安署などの調べによると、西崎さんは7日午後0時35分ごろ、二見港の沖合に停泊中の「YAMATO」(485トン)の右舷中央部から海中に転落した。急行した監視取締船が約20分後に救助、同村の診療所に搬送したが、午後2時58分、死亡が確認された。船は西崎さんの会社名義で、水産学校から買い上げて改修し、今回が初航海だった。

 西崎さんはウエットスーツにマリンブーツを履いて、遊泳の準備をしていた。転落に気づき、先に海に入っていた男性がうつぶせの西崎さんを仰向けにしたが、すでに意識はなく、監視船に引き上げられた時には心肺停止状態だった。

 西崎さんは最近、高齢のためか健康面で不安を訴えることもあり、車いすで移動することも多かったという。

 こうした状況に、関係者の間では、転落してから救助までに時間がかかっていることや、健康面に不安がある中での遊泳など、いくつかの疑問点が指摘されている。同署では同船していた関係者から事情を聴くなど、詳しい状況を調べている。

 西崎さんの経歴はまさに波瀾万丈だった。

 日大芸術学部卒業後、手塚治虫さんのマネジャーを務め、虫プロ商事で1972年に「海のトリトン」、74年にテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」を制作。最初のテレビ放送時は注目を集めなかったが、再放送で人気に火がついた。

 77年に劇場版アニメ映画を公開。「テレビでコケた内容を映画にしてもダメだと誰もが思っていたが、西崎さんだけがヒットを確信していた。公開初日の朝、新宿の映画館の前に観客が行列しているのを見て、西崎さんに怒鳴られ続けて徹夜したスタッフみんなが号泣した」と当時のベテラン宣伝マンが振り返る。

 西崎さんは相次ぎ「ヤマト」シリーズを送り出したが、91年には代表を務める「ウエスト・ケープ・コーポレーション」が倒産。97年に覚せい剤取締法違反などで逮捕され、99年にも再び覚醒剤所持、銃と銃弾の所持で逮捕され、実刑判決を受け服役した。また、漫画家の松本零士氏(72)とは「ヤマト」の著作権をめぐり訴訟合戦になり、2003年に過去の作品は両者の共同著作とすることで、ようやく和解した。

 昨年公開された「宇宙戦艦ヤマト 復活編」では監督を務め、来月1日公開の実写版「SPACE BATTLESHIP ヤマト」(山崎貴監督)にも原作者としてエールを送っていたという。

 西崎さんに近い映画関係者は「昨年の映画は思ったようなヒットにならず、息子に任せている会社の資金繰りは大変だったようだ。大の海好きだけに、新たな船出を飾ろうとしたのだろうか…」と驚きを隠さなかった。

 

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