横綱白鵬が到達しえなかった「木鶏」の境地とは

2010.11.17

 「われ、いまだ木鶏たりえず!」。第35代横綱双葉山が3年ぶり70戦目にして敗れた昭和14年の1月場所、4日目の夜に恩師・安岡正篤氏に打った電報文であります。

 皆様もご存じのように、双葉山の持つ69連勝記録更新を目指していた横綱白鵬が稀勢の里に寄り切られ、297日ぶりに敗れました。

 敗因を聞かれた白鵬は「もう1つ(連勝を)伸ばしてやろう。そういうところに隙があった」と語りました。逆に言えば、稀勢の里は白鵬の不動心を乱す何かを盛っていたということになります。ちなみに、昭和の孤高の鉄人、名横綱双葉山が師と仰いだ安岡氏は、歴代宰相や財界首脳の指南役といわれた人物。その師に吐露した「いまだ木鶏たりえず」という言葉からは、双葉山が横綱でありながら、哲学者であったことを如実に表しているようです。

 ご存じだとは思いますが、この言葉は「荘子」に由来する故事。

 王から「最強の軍鶏を育てろ」との命令を受けた紀悄子と王との問答が主な内容です。

 命令から10日後、王は「もう戦えるか?」と紀悄子に問いかけました。しかし、「まだまだです。むやみにやる気を見せているだけです」と紀悄子。また10日後に王が尋ねると、「いえ、まだです。ほかの軍鶏の声や姿にいきりたつ状態ですから」。さらに、10日たって王が尋ねると、「やっとものになってきました。他の軍鶏が声を上げても一向に動じません」と応じました。

 そして、「まるで木彫りの軍鶏のようで、徳が身に付いた状態です。もはや他の軍鶏でかなうものなく、後ろを向いて逃げ出すでしょう」と言ったといいます。

 この例え通り、荘子にとっては、あふれる闘志と才能を内に秘めながらも敵に対して動ぜず、鉄壁の不動心で対峙する木鶏の姿こそ、戦士の理想像であったのでしょう。

 双葉山は、この教えがあったからこそ、3年間、1000日以上も孤独に耐えて自分自身に勝ってこれたのでしょう。

 そして誰よりも、戦いに勝つためには「心・技・体」が一致する境地でいることの大切さを理解していたのではないかと思われます。

 思いまするに、白鵬の連勝を止めた稀勢の里は、横綱の心を惑わす武器を持っていました。それは、過去の朝青龍戦でもみられる持ち前の負けん気の強さ! 気性の激しさ、気迫です。

 白鵬はそれを無視しようとした。しかし、「無視する」ということを逆に意識し過ぎてしまったのではないでしょうか。

 ここに罠が潜んでいた。つまり、臨機応変に対応できる無我の境地の「心・技・体」を持てなかったのです。

 しかし、63連勝の大記録を25歳の若さで成し遂げた横綱白鵬のこれからの成長がますます楽しみになりました。

 もう1度、70連勝を目指して精進して下さい。 押忍!

 ■石井和義(いしい・かずよし)空手団体「正道会館」宗師で、格闘技イベント「K−1」創始者。著書に「空手超バカ一代」(文藝春秋刊)がある。

 

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