海老蔵の暴行事件は将門のたたり!?衝撃の噂を徹底調査

2010.12.25


市川團十郎が揮毫した江戸桜通りの石碑。日銀本店の真横に建っている【拡大】

 暴行事件に巻き込まれた市川海老蔵をめぐり、東京・六本木だけでなく、日本橋でも妙な噂で持ちきりだ。老舗商店の旦那衆らの間で、海老蔵の災難は「市川家に降りかかったたたりのせい」と囁かれている。話は約1100年前に起こった誰もが知る日本史と5年前のある一件が関係しているという。

 「海老蔵さんが暴行事件に巻き込まれたと聞いたとき、日本橋では将門公のたたりという噂で持ちきりになりました」

 日本橋の老舗商店の店主がこう話す。

 店主がいう将門公とは平安時代中期の豪族、平将門のこと。朝廷に背いて反乱軍を興し、940年に討伐された。中学の社会科でお馴染み「平将門の乱」がどう関係しているのか。

 「たたりが囁かれるようになったのは5年前で、通りの命名騒動が発端でした」(先の店主)

 通りとは、日本銀行本店と日本橋三越本店の間に走る区道で、2005年に地元団体「名橋日本橋保存会」の働きかけで歌舞伎の市川一門にちなみ『江戸桜通り』と命名された。同会の永森昭紀事務局長(68)が経緯を説明する。

 「江戸の昔、日本橋一帯の魚河岸の旦那衆がひいきにした歌舞伎一門が『成田屋』さんでした。その縁で團十郎家の十八番『助六由縁江戸桜』から名前を頂いたのです」

 通りに石碑も建てられ、揮毫(きごう)は、海老蔵の父、12代目市川團十郎が担当。ところが、これに一部の地元住民が猛烈に反発した。

 「この付近一帯の氏神『神田明神』の祭神である平将門と、市川家と関係の深い『成田山新勝寺』が原因です」とは日本橋の飲食店の店主。

 市川家といえば「成田屋」と呼ばれるように千葉の成田山新勝寺とは浅からぬ縁がある。初代團十郎が同寺に帰依して1700年代に本尊の不動明王が登場する芝居を上演。以来300年以上の交流が続く。

 だが、同寺は939年に平将門の乱平定のために建立。つまり将門の霊を祭る神田明神とは相容れない仲になる。

 「神田明神の参拝者は成田山に参ってはならないとの言い伝えがあるくらい。成田屋さんにちなんだ通りができるなんて神田明神の陣地に殴り込みをかけたようなもの」とは先の飲食店の店主。

 60代の老舗商店店主も「團十郎さんは大きな病気をし、『まだ何かあるんじゃないか』と言っていた矢先に海老蔵さんの事件が起きた。これで終わればいいのですが」と話す。海老蔵ら市川家は300年近く続く新勝寺の大みそか参拝を中止。因果関係は果たして…。

 

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