浅草芸人たちが涙声で語る下積み時代の二郎さんとは…

2011.03.11


二郎さんの訃報に悲しみに暮れる欽ちゃん【拡大】

 10日に脳梗塞で76歳の生涯を閉じた坂上二郎さん。萩本欽一(69)は「コント55号は、幕引きです」と唇を噛んだ。そのコント55号が生まれた地・浅草で、二郎さんとともに過ごしていた芸人仲間が当時を振り返った。

 欽ちゃんは悲しみに暮れていた。仕事先の富山で訃報を聞き、空路帰京した羽田空港で会見。「ごめんね二郎、遠くにいて、飛んでいけなくてごめんね」と言葉を詰まらせた。最後に会ったのは昨年12月。舞台の打ち合わせを兼ねて見舞った。「二郎さんが握手を求めてきた。温かい手だった。『俺がんばるぞ』という握手だと思ったが、今思えばさよならの握手だったんだなあ…」と涙声で語った。

 浅草時代、欽ちゃんは1階の「東洋劇場」(現・浅草演芸ホール)に、安藤ロールと名乗っていた二郎さんは4階の「フランス座」(現・東洋館)にいた。東洋劇場にいた青空球児(69)は「二郎さんには可愛がってもらい、『球児頑張れよ』と、よく声をかけていただいた。ごはんもごちそうになった。思い出すと悲しいです」。

 元ナンセンストリオ(現・ナンセンス)の岸野猛(75)は、「同じ時代に上と下とでやっていた仲間。風呂も一緒に入った。僕らがナンセンストリオで売れ出すと、二郎さんは『オレもテレビにでたいよ』と言っていました」と話す。今は岸野の相方を務める原田健二(76)は、欽ちゃんの師・東八郎さんとトリオ・ザ・スカイラインのメンバー。「楽屋が一緒だと楽しい人だった。歌と司会をやっていたでしょ。それはうまかったけれど。いつも化粧もしないで舞台にでていましたね。みんなで鉄道慰安に行ったことを思い出します」

 歌手への夢が破れ、下積み芸人として苦労した浅草時代。それでも、持ち前の優しさで、周囲の芸人たちを励まし、和ませていた二郎さん。またひとつ、昭和の、浅草の笑いのともしびが消えた。

 

注目情報(PR)