スーちゃんは、下町生まれの“オチャッピー娘”

2011.04.27

 スーちゃんが死んでしまった…。1970年代、高度成長期のアイドルグループ「キャンディーズ」のメンバー、田中好子は“健康優良児”という言葉がピタリとはまった。東京・千住の下町生まれで“オチャッピー娘”の右代表だった。

 ミニスカートからのぞくポチャッとした肢体といつも笑っている丸い顔、そして歌は一番上手なはずなのに、メーンボーカルをランちゃん(伊藤蘭)に譲る優しさがとても好ましかった。そろそろ「自分の青春は終わりかな…」と感じていた77年、大好きな吉田拓郎が作曲した「やさしい悪魔」が発売され、よりファンになった。そして78年にキャンディーズは解散した。

 それから約10年がたった89年、私の愛読書の一つだった井伏鱒二の小説「黒い雨」が映画化され、スーちゃんが今村昌平監督によって突然、主役に抜擢された。

 「普通の女性だから」というのがキャストされた主たる理由だった。

 下町の明朗快活な“総天然色”のような“オチャッピー娘”に広島原爆の被爆者の役が果たして務まるのか?! 明るいスーちゃんファンとして少し心配したが、モノトーン画面と見事に同化し、日本アカデミー賞などで数々の主演女優賞を総ナメに!!

 まさにキラキラしたオールカラーの“総天然色タレント”から白黒映画女優に化身した瞬間だ。キャンディーズのスーちゃんは、33歳の女優・田中好子として自立独立した。

 夏目雅子さんの兄、小達一雄氏と結婚した直後の92年に乳がんを発症し、人しれず治療を続けてきたが、肝臓、肺に転移し55歳の若さで4月21日の夜、逝った。

 新聞系週刊誌のグラビア「東京美女」を毎月プロデュースしていた私は、女優・田中好子のグラビアのロケ地を拓郎と縁の深い東京・高円寺に設定した。

 当時、乳がんを患っているとは知らない私は、明るいスーちゃんと高円寺の街で丸々一日をロケで過ごした。穏やかな人柄にふれ「菩薩様のようなやわらかい女性だな」としみじみと思った。

 同じころ、夫の小達氏の前妻との一人娘である楯真由子の写真集を制作するため、今回の大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市で3日間にわたり、大ロケーションをした…。

 小学生で子役としてテレビに出演していた楯真由子は夏目雅子さんの“姪っ子”にあたるわけで、子役ながら時折見せる表情には、女優夏目雅子の雰囲気が漂っていた。写真家の沢渡朔(さわたり・はじめ)氏は「よく似ているよ…」と、楯真由子の女優としての将来に大きな期待を寄せていた。

 ところが、私は帰京後、全ての写真を封印した。小達氏との離婚の内幕を前妻から陸前高田市のロケ地で耳にしたからだ。余りのドロドロ話にスーちゃんのファンである私は名作ではあったが写真集をお蔵入りにした。その後の楯真由子のことは知らない…。

 スーちゃんは、やっぱり“オチャッピー娘”のイメージを私に強く残して逝ってしまった…。また一人、私の好きな女優が居なくなった。(出版プロデューサー)

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