たのしみは食べるなら肉、笑うなら福「滝大作」

★芸人が大好きでござる

2011.05.25


滝大作【拡大】

 「私もねえ、少し太りだしたんで、前よりよけいに喰べるようにしてるんです」「なるほど。そうすると、どのくらい?」「ステーキなら一キロですね」「一キロ−」「四百グラム、四百グラム、二百グラムと、三切れです。ベリレアですがね。ご飯と一緒に。米は野菜ですから。それが朝飯です。昼はハンバーグライスと五目焼きそばとエッグサンド。夜は酒一本槍。やっぱりねえ、中途半端に喰ってるのが、一番肥りますね」

 という会話をして、この説が本当だとしたらノーベル平和賞をあげるべきだと書いたのは色川武大さんで、“平和賞候補”になったのが、このときちょうど50歳の滝大作さんだ。1984年の色川さんの『喰いたい放題』という単行本の「甘くない恋人たち」の一節である。色川さんが滝さんを好きだったのは、牛肉をこよなく愛する滝さんへの憧れと、浅草出身の芸人が大好きという共通の趣味からである。

 滝さんが最初に本気で面倒をみた浅草芸人はコント55号だ。NHKデビューさせようと、2人のためにチェーホフと同名の「煙草の害について」というコントを書いた。浅草からNHKのある渋谷までの地下鉄の中でリハーサルをした。当時は坂上二郎さんが突っ込みで萩本欽一さんがボケだった。2人が役柄を取り変えてこのコントが大ヒットした。すぐ後の「帽子屋」で「飛びます、飛びます」が生まれるのだが、稽古場で滝さんと3人で作り上げたときは45分あったという。この幻の45分のコントは滝さんしか見ていない。滝さんと55号のエピソードは、誇張されたり、滝さんが神格化されていたりしているが、事実は当たらずとも遠からずと思っていい。

 ぼくが雑誌編集者時代の73年、『スイング・ジャーナル』の編集長を退き、隠遁していた久保田二郎さんの原稿を取りに行ったゴールデン街の「あんよ」で、NHKのディレクターだった滝さんに初めて会った。それから久保田さんらと成城のプールにも行った。滝さんは、あくことなく日本の喜劇役者の話と、アチャラカ喜劇がなぜ面白いかを語り続けてくれた。「こんなに喜劇に詳しい人が、なんで『お笑いオンステージ』なんか演出しているんですか?」−明らかに失礼な質問だが、三木のり平や八波むと志、由利徹、植木等の喜劇評論と、三波伸介演じるテレビの軽演劇とのギャップは大き過ぎたことも確かだ。そんな失礼なぼくに、滝さんはあれから40年近く、笑いと人生の先生として未だに酒の席や劇場や旅に付き合ってくれている。

 55号、てんぷくトリオ、由利さん始め、滝さんは芸人たちに絶大な人望がある。郵政委員だった当時の立川談志さんが、NHKを表敬訪問し、車から入り口まで赤絨毯を敷かせ、坂本会長に出迎えをさせた。談志さんは会長に「滝大作くんをここに呼びなさい」と言い、呼ばれた一介の社員に「滝くん、給料はいくらもらってるの?」と、会長に当てつけるように聞いたという話は嘘のようだが本当だ。

 滝さんはNHKを辞めた後、ぼくの事務所にも所属していたが、伊東四朗座長の『コメディーお江戸でござる』(NHK)の台本書きを続けていた。『お江戸』が終わった後も、BSの談志さんの番組構成などでご一緒したが、ここ2年ほど、滝さんからあまり仕事の話を聞いていない。それが来月、書き下ろしの短編小説集を出すと突然、経堂の寿司屋で聞いた。題名は『小説お江戸でござる』。宮部みゆきの向こうを張った時代小説だ。笑いに賭けた滝さんの人生は幸福だ。(演出家・高平哲郎)

 ■たき・だいさく 1933年7月22日東京芝生まれ。早稲田大学文学部演劇科中退。59年NHK入社。ディレクターとして『お笑いオンステージ』などコメディ番組を担当。84年退社後はテレビや舞台の作演出の他、喜劇の評論、小説などの執筆活動等幅広く活躍。近著は6月10日全国書店で発売の『小説お江戸でござる』(PHP研究所)。

 ■たかひら・てつお 1947年1月3日東京生まれ。一橋大学社会学部を卒業後、広告代理店、編集者を経てフリーに。以後、テレビの構成や芝居・ミュージカルの翻訳演出等。「本のまち・軽井沢」の催しで5月28日15時半より古書追分コロニ−にて南伸坊氏と「七〇年代の雑誌(宝島+ガロ)を語る」の対談。

 

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