元祖“まちぶせアイドル”を仙台で見つけた!

2011.07.20


思わぬ再会を果たした三木聖子と高須氏【拡大】

 往年のアイドル歌謡曲「まちぶせ」を石川ひとみが歌う前に、ヒットさせた元祖“まちぶせアイドル”の三木聖子に逢ってきた。仙台市の繁華街・国分町で“夜の蝶”として元気に暮らしていた。

 私は13日、早朝に上野駅を出発し、宮城県南三陸町で佐藤仁町長に会い、最後まで津波避難のアナウンスを続けた女子職員が流された建物に向け手を合わせた。気仙沼の港では、いまだ片付けられていない焼けただれた船に悄然、岩手県陸前高田市では1本だけ残った松の木を見上げ、夜8時過ぎ、仙台市内に戻った。

 ひと息入れた後、河北新報の広報部長と夕食を共にした。福岡市の吉田宏前市長も同席し、東北大震災の現状について議論は白熱した。とりわけ福岡市で“同志”として戦ってきた、過日辞任したばかりの元復興相・松本龍氏に対する吉田前市長の厚い友情に裏付けされた考え方の一部始終は「松本氏は弱い者の味方だったのか…」と興味深かった。

 「少し頭を冷やそうよ…」と提案し、キラキラと輝いている国分町の真ん中にある一軒のクラブにフラフラと迷い込んだ。

 ドアには「MUMU」(ム・ム)と書かれていた。クラブのママは「聖子」と書かれた名刺を差し出した。吉田前市長は、まじまじとママの顔を見つめ、同郷のよしみから、「もしかして三木聖子さんか?!」と問うた。

 「そうですよ。三木聖子です…」

 地元・久留米弁のイントネーションだ。思いがけない元アイドルとの再会に瞬間、1975年にワープした。

 「高須です!!」と名刺を出すと、私の方に向き直り「高須君でしょう?! 覚えているわよ。懐かしい! 昔のマネジャーのUさんに電話するね」とケータイを取り出した。

 3億円事件をテーマにした沢田研二主演ドラマ『悪魔のようなあいつ』(75年)で、当時18歳の三木聖子はジュリーの妹役を演じ、芸能界入り。ユーミンが作詞作曲した「まちぶせ」で歌手デビューも果たした。ほどなく引退した。

 「結婚して、3人の娘がいるの…」

 いま53歳。仙台の街で、元気ハツラツだった。私はドラマの主題歌だったジュリーの「時の過ぎゆくままに」を歌い、聖子は「まちぶせ」を歌った。私は60歳を越したが気分は28歳! 聖子の歌声は18歳のままだった。

 聖子は、さらに懐かしい「恋のスタジアム」と「三枚の写真」をたて続けに歌った。店全体にノスタルジックでセンチメンタルな空気が流れた。

 南三陸町の防災ビルのポツンと1本だけ残った“悲しいアンテナ”。気仙沼市の漁港に残された焼けただれた一隻の“サンマ漁船”。陸戦高田市の美しかった松原の中で、たったの1本だけ生き残った松の木! そして、久留米からひとりぽっちで仙台・国分町に“嫁入り”した三木聖子。そして、ひとりぽっちで東北の被災地を視察に来た落選中の吉田前福岡市長!!

 「誰もがあちらこちら命がけで生き抜いている…」と、思わず独り言がもれた。

 深夜1時過ぎ、私達のリクエストに応え、三木聖子は「まちぶせ」を目にいっぱいナミダを溜めて全身全霊を込めて、歌ってくれた…。

 国分町の街は日付が変わっても明るく元気だった。(出版プロデューサー)

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