91歳で銀幕復活!「ムーラン・ルージュ」の明日待子

2011.09.28


「カルピス」のポスターモデルに見覚えのある方がいるかも。日本の軽演劇史に残る大スターは、今も現役だ【拡大】

 「左卜全さん、有島一郎さん、由利徹さん、三崎千恵子さん、そして戦後は森繁久彌さんら芸能界で大活躍された名優さんたちが大勢出演されていました。『ムーラン・ルージュ新宿座』は、私の青春そのものでしたね」

 9月17日、新宿の映画館「ケイズシネマ」で行われた映画「ムーランルージュの青春」の舞台挨拶。マイクを握った主人公の1人で、同座のトップスターだった明日待子さんは、満面の笑みを浮かべてこう話した。

 御歳91。映画出演は、「鉄路の薔薇」(1949年)以来、62年ぶりだ。

 会場はシルバー世代が目立ち、さながら戦前世代の同窓会。早大生時代に大ファンだったという野末陳平氏も「日本唯一のムーラン・ルージュ評論家」として舞台に上がっていた。

 現在は、北海道札幌市内で正派五條流宗家家元、五條珠淑として今も舞台に立ち、後進の育成に励んでいる。

 ムーラン・ルージュ新宿座は、1931年12月31日に、現在のJR新宿駅南口にオープンした劇場で、軽演劇とレビューで構成して大学生やインテリ層に人気を博した。

 「客席には、助監督時代の黒澤明さんも、よくお見えでした。他には志賀直哉先生、菊池寛先生、西条八十先生、金田一京助先生がしばしばおいで下さいましたね。金田一先生は声がお高いので、すぐにわかるんです」

 明日さんは20歳で師範名主となった日舞を得意とする、今でいえばAKB48顔負けの人気アイドル。当時の雑誌グラビア、ポスターに引っ張りだこで、CMモデルでは、ライオン、キッコーマン醤油、カルピスのポスターが知られている。

 「太平洋戦争末期になりますと、学生さんが客席から、『明日、私は学徒出陣します。明日待子、バンザーイ』って。私も他の役者さんも涙が止まらず、お芝居がストップしたことが何度もありました」

 1945年5月の東京・山の手空襲によってムーラン・ルージュ新宿座は半焼し、御殿場に疎開。嫁ぎ先の札幌では、自社の劇場に来た旅役者の弁当を毎日何十食も手作りした。

 また五條流宗家を巡る“女の争い”に翻弄されたこともあった。

 「それでも、すごくいい人生でしたよ。今もこうして映画に出させていただけたんですからね」

 凛とした姿に、会場からは惜しみない拍手が沸き上がっていた。

 ■明日待子(あした・まつこ) 1920(大正9)年、岩手県釜石市生まれ。13歳で「ムーラン・ルージュ新宿座」に入座。美形子役としてたちまち大人気となり、その後同座の看板女優に。戦後は映画で活躍していたが、49年、北海道の興行会社「須貝興業(現 ゲオディノス)」の御曹司と結婚し札幌へ。55年、五條流舞踊研究所を開所し、94年、正派五條流宗家家元、五條珠淑を襲名。出演映画「ムーランルージュの青春」は、新宿のケイズシネマで公開中。また10月15日からディノスシネマズ札幌劇場、同22日から名古屋シネマテークで上映予定。

 

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