井上ひさしさんの元妻が娘に伝えたかったこと

★故井上ひさしさん元妻 西舘好子さん

2011.10.31

連載:ブック


西館好子さん【拡大】

 作家の井上ひさしさんが肺がんで亡くなって1年あまり。元妻である著者がペンを取ったきっかけは東日本大震災だった。儚い命、親子の絆…。いま母として、3人の娘たちに伝えたかったこととは?

 −−本書は、井上さんの死を3女から電話で聞かされるところから始まる。父親の臨終に、上の2人の娘さんたちは立ち会うことを許されなかった

 「あれだけ仲が良かった3人の娘たちが、(劇団『こまつ座』の問題などを巡って)こんな険悪な関係になってしまうなんて…。母親としてはとても辛く、暗澹たる気持ちでした。もちろんみんな大人だから、いろんな事情はあるだろうし、私には込み入ったことは分からない。でも、父親の死にさえ立ち会えないなんて人間として絶対に許されないことでしょう」

 −−東日本大震災が執筆のきっかけになった、と

 「もし震災がなければ書いていなかったでしょうね。被災地に何度も行き、一瞬にして多くの生命や暮らしが奪われてしまったことを目の当たりにしました。私はずっと親子の絆、家族のつながりの大切さを訴える活動を続けてきましたが、悲惨な現場を見てよりいっそう家族への思いが強くなった。だから今、私たち親のことを(娘たちに)正直に書いておく必要があると思ったのです」

 −−前半部分は、貧しいけれど、夢に向かって全力疾走する若い夫婦の姿が描かれている

 「日本全体が明るい方向へと向いていた時代ですからね。貧しいのは全然苦にならない。それに若いから元気も体力もあった。2、3日ぐらい寝なくても当たり前。当時の井上さんには『物を書きたい』という一途な思いがあった。そして私は一途な思いに走ろうとしている人の力になれる、と思った。いいコンビだったと思います」

 −−全盛期には税金だけで年に1億円。千葉県市川市の自宅には、原稿待ちの出版社や新聞社のハイヤーがズラリと並んだ

 「出版社にも新聞社にも迫力ある人たちが揃っていましたね。『いい本を、いい新聞を作りたい』っていう情熱が凄かった。井上さんは書くだけだから、交渉役はすべて私、1日に30人以上と会うなんて当たり前…。でもお金は残りませんでしたよ。井上さんが希少な本やレコードを山ほど買うものだから」

 −−いいコンビだった夫婦にいつしかヒビが

 「お互いにケンカしながらも、理解し合っているつもりだったし、いまだに『なぜ離婚する必要があったのか』分からない。でも想定外のことがあったとすれば『芝居』(劇団「こまつ座」)でしょうね。私が芝居のことをやるようになってから、二人はどんどんずれていきました」

 −−井上さんの凄まじい家庭内暴力のことも赤裸々に

 「口では私に勝てませんからね。育った環境やお互いの文化の違いが原因だったのかもしれません」

 ■「表裏井上ひさし協奏曲」牧野出版・2100円 元夫である、作家の井上ひさしさんと過ごした25年の日々を赤裸々に綴っている。「あんなにもつらくて、楽しかった」と本書の帯にあるように、その日々は波瀾万丈、奇々怪々、天国と地獄…。作家や出版業界が、まだまだ元気だった時代が偲ばれる1冊。

 ■にしだて・よしこ 1940年、東京・浅草生まれ。大妻高校卒業後、電通に勤務。61年に井上ひさし氏と結婚。三女をもうける。83年、劇団「こまつ座」を結成し、座長兼プロデューサーとして劇団を運営。86年、井上氏と離婚。現在は、NPO法人日本子守唄協会理事長として、母と子の絆や子育て支援に関する活動を行っている。

 【取材後記】

 西舘さんと井上さんは、性格も、育った環境も、嗜好も、何もかもが対照的だった。対照的だったからこそ、“いいコンビ”になれた二人がやがて、どんどんずれて行き、最後は狂気ともいえるドロ沼にはまり込んでしまう。西舘さんは「夫婦は所詮他人。でも親子は違う」という。

 長女の都さんが書いた「あとがき」には両親への愛情が満ちあふれている。そして、父親の臨終に立ち会わせてもらえなかったことへの口惜しさ、悔悟の念がにじむ。上の2人の娘さんは父親のお墓の場所も知らされていないという。

 西舘さんのメッセージは伝わるのだろうか。

 

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