遺族が明かす談志さん“壮絶な最期”…プライドは死なず

2011.11.24


声を出せないためバツ印付きマスクを着用して退院。常にユーモアを忘れない談志さんだった=1998年4月3日【拡大】

 立川談志さんの遺族が23日に開いた会見で、壮絶死の全容が明らかにされた。喉頭がんの再発で医師から声帯摘出手術を勧められても「プライドが許さない。しゃべるのが仕事なんだから」と拒否。体の衰弱で介護が必要になると、愛弟子の見舞いすら断っていた。

 会見した長男の松岡慎太郎さん(45)によると、談志さんが声帯にがんができる「声門がん」を患ったのは3年前。放射線治療などで沈静化したものの、昨年11月に再発し、主治医から声帯の摘出手術を勧められた。だが、談志さんは「プライドが許さない」と拒絶。がんを表面のみ取り除く処置だけほどこし、懸命に声を出して今年3月まで高座に立ち続けていた。

 しかし3月下旬、がんの進行で呼吸が苦しくなる状態に。窒息する恐れがあることから気管切開をして管をのど元に通した。切開後の8カ月は入院と自宅療養を繰り返し、10月27日に病状が急変して心肺停止の状態に。一時的に回復したものの意識は戻らず、21日に息を引き取った。

 気管切開をした時点でほとんど声は出ず、術後に家族と交わした最初の筆談は「しゃべれるのか、声は出るのか」。隙間から漏れるかすかな声で「私の名前は立川談志」と絞り出すのがやっと。それから意思疎通は筆談で行うも、後半は衰弱が進んで字も読みづらくなっていったという。

 体の状態は生活全般で全面的な介護が必要な、最も重い「要介護5」と認定されていた。そのため、弟子の見舞いも許さず、最期に立ち会ったのも家族だけだった。

 会見に同席した元タレントの長女、弓子さんは、「飲めない、食べられない…で、かなり苦しかったと思います」としながらこう振り返った。

 「人生において最初で最後だと思うのですが、父とべったり過ごせました。父は辛かったと思いますけど、そのおかげで、父のイメージと違った、こんなにジェントルマンだったんだ、こんなに優しい人だったんだ、と」

 「見事な死にざまだった」と慎太郎さん。芸能界に多くの心酔者を生んだ巨星は最期の姿でも大きな“手本”を示した。

 

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