6月28日に腎盂がんのため死去したタレント、小野ヤスシ(本名・泰=やすし)さん(享年72)。軽やかでテンポある口調から毒を出しながら相手を盛り上げる小野さんの話術は、ザ・ドリフターズとそれに続くバンドで磨かれたものだった。
若い世代には小野さんがドリフのメンバーだったことも驚きだろう。ドリフへの参加は1960年。64年、リーダーのいかりや長介さんが、歌・音楽・笑いをミックスしたステージにしようと猛練習を課した。
いかりやさんが「オレが一生懸命に考えてやっているのにヤル気ねえのか。辞めちまえ」と叱咤した。すると小野さんは「では、お言葉に従って辞めます」と、他の3人(ジャイアント吉田、飯塚文男さん、猪熊虎五郎さん)と脱退を決めた。いかりやさんは「自分が辞めるから留まってくれ」と説得したが、小野さんにも首を縦に振れない理由があった。すでに脱退メンバーのバンドに「ドンキーカルテット」と名付け、スケジュールも入れていたからだ。
その時、加藤茶(69)も脱退するはずだったが、「お前は辞めないよな」との、いかりやさんの一言で思いとどまったという。だが、小野さんと加藤との友情は終生続いた。
ドリフから分裂したドンキーのステージは、タキシードでビシッと決めたメンバーが、客に媚(こび)を売らず音楽ギャグをみせるクールな“引き芸”が特徴だった。
ジャイアント吉田が「バナナボート」を歌い出すと、小野さんと猪熊さんが論争になったり、互いにマイクを取り合ったりして演奏のじゃまをする。時には、カバンのファスナーや金属トレーを楽器に仕立ての音楽ギャグ。小野さんはメンバー紹介で「私は鳥取県が生んだ20世紀最大のスター・小野ヤスシ。あとはアイツとコイツとソイツ…」と毒づき、歌の紹介も終えてメンバーが歌に入ろうというときに「あ、その前に」というギャグは鉄板だった。
数年前、東京・銀座のライブハウスを訪ねた時、小野さんはギターを抱えカントリー&ウエスタンを熱唱していた。
「子どもの頃買ったドンキーカルテットのレコードにサインしてください」とお願いすると「あんた(年齢は)いくつ。バカな買い物をしたね。でもうれしいよ。じゃあ今度持ってきなよ。サインするよ」と話してくれた。
何事も仕切り上手だった小野さんらしく、生前から葬儀の手はずを整えていた。告別式はプレスリーやカントリーミュージックが流れる「音楽葬」になるという。最後まできっちり、人生をプロデュースした。(演芸評論家・高山和久)
◇
通夜は2日午後6時から、葬儀・告別式は同3日午前11時から、いずれも東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は妻、芳子(よしこ)さん。