山田五十鈴さん、娘との確執と京都の墓

2012.07.11


山田五十鈴さん【拡大】

 戦前戦後、そして平成を通して映画、舞台で活躍した大女優、山田五十鈴(享年95)。日本を代表する女優は私生活も波瀾万丈。とりわけ、一人娘の瑳峨三智子との確執はたびたび芸能マスコミを賑わせた。

 山田が瑳峨を生んだのは18歳。夫は往年の二枚目スター、月田一郎。1935年に出演した映画「お六櫛(ろくぐし)」で共演したのがきっかけで恋に落ちた。男っぽい男より、インテリでひ弱そうなタイプが好みだった山田は、映画、舞台関係者と数々の異性関係を彩り、月田ともまもなくして離婚。瑳峨は、自分を捨てた母を恨んでいた。

 瑳峨は1953年、18歳で東映に入社。「旗本退屈男 八百八町罷り通る」でデビューする。ここで初めて母と十数年ぶりに対面した瑳峨は「山田さん」と呼び、「お母さん」と呼ぶことはなかった。

 押しも押されもしない大女優となっていた山田。しかし娘の瑳峨も演技は決して下手ではない。母譲りの妖艶な色気と演技力。下膨れの顔で色っぽさのある女優だった。そして派手な男性関係も、母譲りだった。

 仲代達也と並ぶ有望株として期待されていた俳優、森美樹との恋愛関係は有名。しかし森はガス中毒のため26歳で世を去り、瑳峨の転落の人生が始まった。酒に溺れ、薬に手を出し、遅刻、すっぽかしを繰り返し、岡田眞澄との婚約解消…。ふしだらな生活から芸能界に居場所がなくなり、ついには「山田五十鈴を継ぎたい」と無理難題を話し、山田からも見放された。

 瑳峨はその後、岡山市内でホステスとなり、晩年はクラブのママにおさまったが、92年8月19日、滞在先のタイ・バンコクでくも膜下出血のため57歳で先立つ。晩年は、大女優への畏怖からか、山田のことを「あの鬼ババ」と呼んでいたという。

 「鬼ババ」と呼ばれた母だが、娘のことを忘れていなかった。演劇コラムニストの石井啓夫が99年春、“山田五十鈴さんとちゃんこ鍋を囲む会”での様子を明かす。「興が進んで芸談や役者話になり、ベルさんは『女優は結婚したら、やはりダメね』とぽつりと言った。瑳峨との長年の確執がよぎったのか、おちょこを口に運ぶ表情がふとかげったように見えた。が、すぐさま、『ちゃんこ鍋というのはね、親(ちゃん)が子(こ)に食べさせるからちゃんこって言うのよ』と教えてくれた」

 2000年、女優で初めて文化勲章を受章した山田。祝いの会で「父(山田九州男)も娘も俳優でしたから、泉下で喜んでくれているものと思います」と語った。

 身よりのなかった山田は、京都に瑳峨と一緒に入る墓を作っていたという。(敬称略)

 

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