“デビューアルバム制作費”200万円!無心すると父親「勘当だ!」

★演歌歌手 原田悠里

2012.10.26


歌手デビューを目指していたころには、危ない話もあったという。今年の大みそかはどうなる?(永瀬白虎撮影)【拡大】

 「完全に浮かれていたんです。『あなたみたいなタイプはアルバムでデビューするべきだね』と言われて、それを素直に信じていました……」

 27歳の遅咲きながら1982年のデビュー曲『俺に咲いた花』で数多くの新人賞を受賞。85年にはミリオンセラーとなった『木曽路の女』、99年『津軽の花』が60万枚のヒットとなってNHK紅白歌合戦に出場(以後3年連続)。

 ご存じ、北島ファミリーの一員として順風満帆の芸能生活を送っている原田悠里(57)だ。

 デビュー前には逆境もあった。

 「あれは公立小学校の音楽教師を辞め、横浜でクラブ歌手やラジオのDJをしている時代でした。ある人から紹介されて某大手レコード会社のレッスン室でディレクターの前で歌ったんです。結果は合格。でも、デビューアルバムの制作には200万円かかる、と言われたんですね」

 あきらかにうさん臭い話なのだが、子供のころからの夢だった歌手デビューの話に浮き足立った。

 「田舎で農業やりながらつつましく暮らしている親に『私、歌手デビューするから200万円送って』と電話して。この時点で、自分のバカさ加減に全く気づいてないんですよ」

 即日、父親と屈強な従兄弟たちが、彼女を郷里に連れ戻すべく上京する。

 「父は最初から歌手になるのは大反対でしたから。音楽教師になったのは、上京するのに親を納得させる理由が必要だったからです。私としては、歌手になるチャンスをつかむため。親からすれば、教師を辞めて、何を浮かれているんだ! と。父は涙を流しながら『勘当だ!』と叫んでました」

 ひとり娘の夢を信じる母親が、なんとか激怒する父親とりなし、歌手活動は続けることができた。

 「その後、縁あって北島音楽事務所からデビューが決まった時、父はようやく認めてくれました。あのとき田舎に帰っていたら今はないですね」

 99年には念願の紅白出場。もはや誰も反対しようがない一流歌手になっていた。

 「いえいえ、まだまだです。最初は紅白には1回でも出られればイイと思ってたんですけど、3回で終わったときに考え方が変わりましたね。紅白に、返り咲いてこそ本物かな、って(笑)。私の到達点はここじゃありません!」

 グッと力を込めた。

 ■はらだ・ゆり 12月23日生まれ、熊本県出身。鹿児島大学教育学部音楽学科卒業後、小学校の音楽教師を経て、1982年『俺に咲いた花』(キングレコード)でデビュー。今年は情感あふれる新曲『倉敷川』も好評だ。

 30日にメルパルク大阪でソロコンサート。12月16日には東京・新宿の京王プラザホテルで「北島ファミリークリスマスディナーショー」に出演。問い合わせは、北島ファミリークラブ((電)03・5343・3836)。オフィシャルブログ「原田悠里」を更新中。

 

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