大島渚さん「バカヤロー!」の真意 “最後の弟子”が明かす素顔

2013.01.16


2000年5月、「御法度」の関係者とともにカンヌ映画祭に出席した大島渚監督夫妻。左端は神田うの、右から松田龍平、ビートたけし (ロイター)【拡大】

 国内外に異彩を放ち続けた映画監督の大島渚さんが亡くなった。テレビ番組や会見では時に「バカヤロー!」と激高することでも知られたが、後進には温かい手を差し伸べ、映画を愛した人だった。大島さんと家族ぐるみの付き合いで、亡くなる2週間前にも見舞っていた映画監督で評論家の樋口尚文さん(50)が、知られざる素顔を夕刊フジに語った。

 大島さんの名がクレジットされた最後の映画『インターミッション』が、2月23日に公開される。3月に閉館する銀座の映画館シネパトスを題材にした異色コメディーで、資金援助した大島さんの名が「賛助」として登場。夫人の女優、小山明子(77)も出演している。

 昨年12月28日、容態が思わしくないという知らせで、この映画の監督を務めた樋口さんが病院を訪れた。映画の完成を報告し、小山が「25年ぶりに映画に出演したのよ」と話しかけると、大島さんは「うん、うん」とうれしそうにうなずいたという。

 「意識は混濁してる状態でしたが、ふっくらした温かい手で、しっかり握っていただいた。よく頑張られたと思います」

 樋口さんは、30年以上前の高校時代に雑誌「ぴあ」主催のコンテストで8ミリ映画が入選した際、テレビの対談で初めて大島さんと出会った。相手は、すでに世界に名を馳せたオオシマだった。

 「“高校生監督”と紹介され、心臓が破裂しそうでした。本番前に1時間ほど私の作品を見ていただき、テレビ局の方が感想を聞くと、『いや、後で』と。こりゃ、『バカヤロー!』と怒られるかと。中身は、遅れてきた学園紛争もの。覚悟をしていたら、本番で『これは10年に1本の傑作である』と激賞してくださった。以来、お手紙のやりとりが続き、大学に入学したときにはモンブラン(の万年筆)をいただきました」

 広告代理店に勤める樋口さんは、大島さんの映画『御法度』(1999年)のCMを制作するなど、師弟のような関係が続き、薫陶を受けながら映画評論も始めた。

 あるとき、「映画作家として大切なことは、何ですか」と尋ねると、大島さんはこう言った。

 「いやぁ、監督っていうのは分かられてしまっては、おしまいなのだよ」

 樋口さんは言う。

 「大島さんの作品は、一本一本の全作品が、それぞれ似ていない。ふつう監督は一定の作風があるものだが、常に破壊して、『大島渚とは何か』という問いかけを永遠にこちらにぶつけてくるんです。どれが代表作かという拒絶をしている。真のヌーベルバーグだと思います」

 晩年に脳梗塞に見舞われたが、半身マヒをリハビリで克服。『御法度』のクランクインでは車いすでメガホンをとり、現場復帰を果たした。

 2年ほど前には京大時代の仲間と旧交を温めるため京都を訪れたが、この頃から体調を崩したという。

 大島さんといえば、討論番組などで激高することでも知られた。

 「取材で、つまらないことを聞くと怒鳴られていた。それは、よく分かるんです。人を縛り付けたり、不自由な方に定義づけたりする俗説をもって封じ込める物言いには、爆発していた。潔癖で愛情が深い方でした」

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