藤圭子さん自殺、音楽業界に衝撃 「暗闇失い居心地悪い時代に…」

2013.08.23


大下英治氏【拡大】

 藤さんの恩師で、作詞家の石坂まさをさんを通じて面識があった作家の大下英治氏は、急死の報を聞いて「えっ、まさか、とは思わなかった」と話す。

 「藤圭子を端的に表現すれば、闇と艶、そして狂気だと思う。私はデビュー時からのファンで、『新宿の女』や『命預けます』が好きだった。不良性に満ちた闇の部分、女ヤクザのような艶、ほとばしり出る血のようなすごみがある。闇を背負った藤圭子にとって、明るさを求める時代は居心地が悪かったのだろう。幸せというイスに座っているのが似合わない人だった」

 大下氏は交流のあった石坂さんを通じ、藤さんと知り合った。

 「1996年ごろ藤さん夫妻と娘さん、そして石坂さんと東京・新宿で会食した。私がファンだったこともあり、石坂さんが食事の場を設けてくれた。藤さんが娘のことを『この子はアメリカで歌の勉強をしているけれど、絶対にデビューするから』と、自信たっぷりに語っていたのを覚えている。1年半後ぐらいに宇多田ヒカルがデビューして独特の歌い方を聞き、藤圭子のDNAのすごさを感じた」

 大下氏は、「こういう時代だから藤圭子の歌をもう一度聞いてみたかった」と残念がる。

 「暗闇が消えて明るいことばかりもてはやされる時代を、娘とは違った視点でどのように歌い上げたのか。この年齢で亡くなるのはあまりにもったいない」

 東大の学生時代、藤さんの「圭子の夢は夜ひらく」(1970年)に親しんだというのは、音楽評論家の富澤一誠氏。

 「60年安保が西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』なら、70年安保を象徴したのが藤圭子さんでした。ニュースでは安田講堂が映るとバックに流れたほど」

 若くして陰りのあるハスキーボイスは、当時、体制に懐疑的だった若者の心をもつかんだ。作家の五木寛之さんがエッセー集『ゴキブリの歌』(角川文庫)の中で、「ここにあるのは〈艶歌〉でも〈援歌〉でもない。これは正真正銘の〈怨歌〉である」と断じたのは有名な話だ。

 富澤氏が続ける。

 「時代の中心にいた(吉田)拓郎、(井上)陽水、かぐや姫といったフォークソング陣営は『打倒・藤圭子』を目指していました」

 しかし、栄光は長くは続かなかった。

 「藤さんの歌は、“不幸”という看板があって成り立っていた。売れて、結婚して、幸せになり、80年代に入ると、時代はポップスに変わっていた。看板が外れたとき歌手としての輝きがしだいになくなっていきました」と、富澤氏もその才能を惜しむばかりだ。

 

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