ロマンポルノの立役者、曽根中生氏死去 借金苦で突如失踪も… エロの枠越えたヒット作

2014.08.27


2年前、インタビューに答える曽根氏。ロマンポルノを支え続けた人だった【拡大】

 日活ロマンポルノを代表する映画監督の曽根中生(そね・ちゅうせい)氏が26日、76歳で亡くなった。夕刊フジ読者ならお世話になった人も多いだろう。だが、ただのエロ映画を撮っていただけではない。ドラマ重視の作品でロマンポルノというジャンルを確立しただけでなく、その枠を飛び越えたヒット作も生み出した“鬼才”だった。 

 東北大学を卒業後、1962年に日活に入社し、ロマンポルノで監督デビュー。代表作は「天使のはらわた 赤い教室」(79年)や「実録白川和子 裸の履歴書」(73年)などのポルノに加え、「嗚呼!!花の応援団」シリーズ(76〜77年)や「博多っ子純情」(78年)などのヒット作も多い。

 映画評論家の望月苑巳氏は「これまでとは違うフィクションを超えた撮り方で、ドラマを作り込むタイプ。日活ロマンポルノというジャンルを確立した人」と話す。

 その作風は「無機質な質感」「アバンギャルド」とよく表現される。「常に新しいことに挑戦していたことがアバンギャルドな作風につながった。素人同然の役者に厳しく演技をつけ、ヒット作を生む手腕は誰よりも優れていた」と映画評論家の小張アキコ氏。小張氏は「夕ぐれ族」(84年)の試写会で、出演した松本ちえこや春やすこらに囲まれ、うれしそうにする曽根氏の顔が忘れられないという。

 80年代半ば、突如映画界から姿を消す。「借金返済のためダンプを運転している」「ヤクザの抗争に巻き込まれ、海に沈められた」などの噂が流れ、その名前は都市伝説となっていた。

 なぜ消えたのか。2年前、これまた突如復活した曽根氏は、小張氏の取材に答えている。「映画が当たらず、借金がかさんだ。妻は子供を連れて熊本の実家に帰ってしまった。六畳一間に1人残され、あるのは借金だけ。映画を撮るのが嫌になっただけでなく、自分自身にも嫌気がさした」

 世間から姿を消していた間、大分でヒラメの養殖をする一方、環境配慮型燃料の製造装置も開発していたという。

 とことん、アバンギャルドな生き方をしていた人だった。

 

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