時代状況と一線を画した江戸市井小説 直木賞作家山本一力さん『つばき』

★直木賞作家山本一力さん『つばき』(光文社1700円+税)

2014.09.13

連載:ブック


山本一力氏【拡大】

 文庫書下ろし時代小説が花盛りだ。藤沢、池波作品、あるいは捕物帳などを換骨奪胎、家電商品や自動車のように量産されている。そうした時代状況と一線を画し、独自の江戸市井小説の世界を構築しているのが山本一力さんだ。本作品も山本作品の王道を行く魅力あふれる力作だ。 (文・清丸恵三郎 写真・大橋純人)

 −−この作品は山本さんの出世作『あかね空』の世界を正統に受け継ぐ作品ですね

 「そう言ってもらえるとうれしいですね。『あかね空』もそうですし、この作品の前作『だいこん』もそうですが、家族の紐帯(ちゅうたい)が主題。今はなかなか見られないし、通用しがたいけれども、家族、つまり無償の愛で成り立つ最小ユニットがしっかり固まっていれば怖いものなどないのだよということを伝えたかった。これは私の実感でもあります」

 −−主人公のつばきはなかなか魅力的な女性です。難を言えばしっかりしすぎている(笑)

 「彼女は三姉妹の長女。浅草から深川へ移ってきて、新しく店を開くわけですが、博打(ばくち)好きでどうしようもない親父がいる。しっかりせざるをえないのです。下町によくいるちょっといい女というのか。私はそうした市井の名もない人たちがけなげに生きている姿を、これまでもそうですし、これからも描きたいと考えています。有名な、歴史に名を残した人たちはイメージしやすいし、書きやすいかもしれないですが、まったく関心がないですね」

 −−場所も、なじみの深川門前仲町

 「私が会社を倒産させて、安い家賃の家を探して引っ越した先が門前仲町、正確にいうと江東区富岡です。ここは人情の厚い人が多く住み、大家さんはじめ皆さんがどん底にあった私たち家族の力になってくれた。40歳を過ぎて小説を書き始めたのもここで、直木賞を受賞したときには町内会でもちをついてくれたほどでした。富岡は私の物書きとしての原点であり、恩返しというわけではないですが、ついこの町が舞台になってしまうのです」

 −−山本作品の特徴の1つは、主人公が食べ物に関わる職業の人が多い点です

 「私は14歳から新聞配達を始め、18歳で就職し、今日に至るまで仕事を続けているのですが、その経験から、人が生きていくことと人が仕事することとはイコールだと考えるようになりました。小説を書く場合も主人公の職業をどうするかまず考えます。一方、有楽町の旅行社に勤めていたときには、ガード下の安いすし屋にちょくちょく顔を出し、秋葉原に異動すると今度は当時まだあったやっちゃ場(青物市場)の食堂で昼飯を食べたりしました。主人公の仕事を考えるとき、そうした経験や知識から食べ物関係を選ぶのでしょうね。もちろんグルメとかそういうことではないのですが、食べ物が好きだということもあります」

 −−この作品では弐蔵という癖のある、しかし気になる男が出てきます

 「小説を書くときには、あえて嫌いな奴を描くことがあります。書いているうちに好きになるのですが…。この作品ではやくざ者の弐蔵がそう。つばきは昔なじみながら、時には嫌みを言ったりする。しかし弐蔵は嘘をつかない。本音だけ。きれいごとを言う人間はおうおうにして嘘をつく。そういう現実社会の二重構造を映しだしているので、弐蔵にはリアリティーがあり、魅力的なのかと思います」

 −−つばきの恋は成就しないところで、今回は終わりますが、今後は

 「私自身は次を書く心積もりもあり、物語として落ち着くところに落ち着かせたいと思っています。光文社さんが続きを書けと言ってくれるかどうかですね(笑)」

 −−アメリカへ行っておられたとのこと。江戸下町とは違う作品世界が誕生するのですか

 「いろいろな取材があってニューヨークへ行ってきました。ただそういうことだけではなく、マンハッタンという町が好きで、このところ毎年出かけています。あの町は世界中から多様な人が集まり、猥雑(わいざつ)で、何事も人間が主役。江戸とその点では同じで、私には心が安らぐのです」

 ■あらすじ 浅草並木町の一膳飯屋「だいこん」は、寛政元年初夏、深川富岡八幡近くに移ってきた。おんな主人つばきはこの職人の町で、客あしらいのよさ、おいしく炊き上がったご飯や料理で評判を呼んでいく。早々に騙(かた)りにあったりもするが、昔なじみのやくざ者の弐蔵や回漕問屋木島屋の隠居らの助けを得ながら、深川に根づいていく「だいこん」とつばき。しかし順風満帆とはいかない。松平定信の寛政の改革が江戸の町に不況の大風を吹かせ、折も折、つばきの恋も破綻を迎える。好評だった『だいこん』の続編。

 ■山本一力(やまもと・いちりき) 作家。1947年、高知県生まれ。14歳で上京、新聞配達をしながら工業高校を卒業。その後、旅行代理店など十数回の転職を重ね、40歳を過ぎて小説を書き始める。2002年『あかね空』で直木賞受賞。以降、江戸後期の江戸下町を舞台に、市井に生きる人たちの姿を描いて人気を得る。代表作に『大川わたり』『欅しぐれ』『おたふく』など。『損料屋喜八郎始末控え』シリーズもファンが多い。ビデオ制作会社を経営するも倒産。2億円余りの借金を抱えるが、完済した話は律義さとともに有名である。

 

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