『深夜放送ファン』 フォークシンガーがスターだった証し

2015.05.20


1971年11月号(自由国民社提供)【拡大】

 新たなスターが出現するとき、まわりにはメディアが誕生する。終戦後、歌謡曲がはやりだすと「明星」や「平凡」が現れ、洋画が注目浴びれば「スクリーン」や「ロードショー」が脚光をあびた。

 1970年代初頭、フォークシンガーがDJとして人気を集めた時期に盛り上がったのが「深夜放送ファン」。表紙や特集には、よしだたくろう(吉田拓郎)やガロ、佐藤公彦(覚えてますか。ケメですよ)といったミュージシャンがよく登場していた。

 70年代まで、大抵の家庭で、TVは1台しかなく、「チャンネル権」も親が握っていたから、子供が勝手に好きな番組を見ることはできなかった。ある時、クラスの悪ガキに「オマエのあだ名は今日から『どんどんくじら』!」といわれたが、なんのことやらさっぱりわからなかった。

 当時の人気TV番組「夜のヒットスタジオ」で折々登場していた構成作家の塚田茂が、司会の前田武彦から「どんどんくじら」と命名された筆者が彼に似ていたらしいのだが、その番組をウチでは見ていなかったからだ。

 その頃10代の子供が自由にできたのはトランジスタで聞くラジオ。深夜は、関東地区でTBSが「パックインミュージック」、文化放送が「セイヤング」、ニッポン放送が「オールナイトニッポン」で、中からツマミひねりつつ好みを選んだもの。

 筆者は断然、パックイン派で、火曜深夜の愛川欣也、木曜深夜のナチチャコ(野沢那智&白石冬美)は欠かせなかった。

 キンキンの番組では「ジンジロゲ」「テトラ」など下半身を指す彼独自の隠語を駆使して読者から募るエロ投稿をリズムにのせ読みあげ、語尾を「ジンジロゲがチョン!」などと結ぶのが決まり文句。以前に同時間帯を担当していた永六輔が、時折乱入してくるのも楽しみだった。

 ナチチャコパックではリスナーからのどうということもない投稿はがきを、彼らが読み上げ、かけあうトークで、初めて話芸というものを感じさせられた。

 フォークシンガーがスターだったという証しが同誌73年9月号グラフ。「パパになった泉谷しげる」との題で本人が、奥さんや赤ちゃんと共に、はにかんだ笑顔で写っている。赤ちゃんの名はさおり、彼がコンサートで南沙織と共演して一気にファンになったからだそうな。 =敬称略 (矢吹博志)

 

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