『週刊宝石』 取材力見せつけた「処女探し」

2015.07.15


「週刊宝石」1981年10月17日創刊号(光文社提供)【拡大】

 「週刊宝石」といえば「処女探し」だ。若い頃、バイト先の休憩室などで仲間同士「俺はこの娘だと思う」「いや、ぜったい違う」と盛り上がった経験があるオレンジ世代は多いはず。雑誌は基本1人で読むものだが、この頁だけは男同士数人で見て楽しめた稀有な例だろう。

 毎週同誌巻末グラビア2頁で、16〜17人の女の子の切り抜き写真を載せ、彼女らに処女かどうか尋ね、答えは別の頁に掲載される仕組み。今回再見したら、すでに1981年の創刊号に載っていて、96年まで連載していたから、15年超えのロングヒット企画だった。

 優れた企画は多くパクられてしまいがちだが、このグラビアだけはその後盗用された話を聞かない。まあ、取材が大変すぎたのだろう。考えてみても毎週十数人の登場OKとなる若い女性を探すのにどれだけ声をかけ、取材する必要あったことか…。

 ただ、その「取材の難しさ」に挑戦することこそが、現在衰退の危機にひんしているといわれる週刊誌メディアの伝統だったと思う。事実へのあくなきこだわりと、その発掘のための人間関係作りと取材への真摯(しんし)な姿勢。

 例えば1987年5/8・15号では、60年代末のGSブーム時、キーボードを弾きながら失神してみせるので女性の圧倒的な人気を得たオックスの赤松愛さんの芸能界引退後を大阪まで赴きリポート。グループ脱退後、修行中に鉄鋼所での作業で中指を切断しながらも苦労して機械部品会社を立ち上げ成功に導いた話を取材している。

 しかもその事故の際、救急車を呼び、その場で意識を失ったことを「本当の、初めての“失神”でしたね。ワハハ…」と笑いとばしている。自ら語ってもらえるまでになるまでの関係づくりの苦労。そして赤松さんから記者の仕事への思いやりも感じられる。

 最後に彼の「これだけは書いてください」との依頼に応え、奥さんから愛されているという心の支えがあったからやってこれたとの心中までも引き出している。

 2001年2/8号休刊号では、十数年前「処女探し」に出た女性が改めて取材に応えている。結婚し4児の母になり幸せに暮らしている彼女は「今では、誰かに写真撮られるのも、子供の入学式くらいですもん、いつまでも女でいることを忘れないために、(処女探しの頁を)ファイルして、ときどき見ているんですよ」と語っている。ちょっといい話である。 (矢吹博志)

 

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。