「バラエティ」 時間と予算ふんだんで記憶にのみ残る番組生まれる

2016.02.24

「バラエティ」1977年10月号
「バラエティ」1977年10月号【拡大】

 今、春樹という名の著名人なら村上春樹を思い浮かべるのが大方だろうが、1970年代は断然、角川春樹だった。映画「ある愛の詩」や横溝正史の旧作といった文庫の大衆化で大当たり、「人間の証明」など映画製作に乗り出した頃、カルチャー情報誌として創刊したのが「バラエティ」だ。

 創刊号巻頭ではまだ青年の趣の残る彼が、当時一の流行作家・五木寛之と対談し「この雑誌については発行人として責任を持ってやらせてもらう」と鼻息荒く語っている。

 角川春樹事務所製作の「野性の証明」や「戦国自衛隊」など新作公開のたびにそのメイキング状況を伝える機能と、薬師丸ひろ子や原田知世ら角川映画でスターになっていった女優たちのファンマガジンの役割も果たしていた。

 さまざまなカルチャーのメイキングストーリーを伝える側面は、「THIS IS THE VARIETY SHOW」というTV番組の制作裏側を紹介するコーナーに表されている。79年5月号では「サウンド・イン“S”」が登場する。ナタリー・コールやジョージ・ベンソンなどの大物ゲストも折々出演し、伊東ゆかりとしばたはつみがMCを務める音楽番組だった。

 世良譲がピアノを弾き、その周りにしつらえられたバーカウンターでは出演するダンサーたちがグラスを傾けていたのをおぼろげに覚えている。30分番組なのにフルバンドは入るは、ダンサーは週2日リハーサルに拘束するわで「お金も時間も、これだけかけている番組はちょっとない」と描かれる。

 そのしっとりした大人の雰囲気は当時10代だった筆者も憧れた。冬にはスタッフ総出で家族も含め70数人で蓼科へスキー旅行に出かけ、結束力を高めたという。TVが、時間と予算にふんだんな余裕を持てた時代の産物だった。

 その余裕のおかげで、当時は、記録でなく記憶にのみ生きる番組も多く生み出せた。同誌80年11月号では、勝新太郎に、同年秋から本人が監督、主演ともに務めるドラマ「警視−K」についてインタビューする記事が載っている。台本は勝の口伝え、セリフもその場のアドリブで決まり、当時型破りといわれたこのドラマ。役者が何を言っているかよく聞き取れず、見ていても戸惑ったもの。

 視聴率も上がらず3カ月で打ち切りになってしまったが、筆者は毎回ラストでバックに流れる山下達郎の「MY SUGAR BABE」が楽しみで必ず見ていた。今でも伝説のドラマとして名画座などで時折上映されている。

 冒頭の角川春樹と五木寛之対談の対向面には萩原健一主演のドラマ「祭りばやしが聞こえる」の広告が出ているが、これもまた記憶にのみ残る名作。柳ジョージが歌うテーマ音楽は今でも聞けるが、ドラマ自体はどこかに記録はあるのだろうか。負傷した競輪選手を演ずるショーケンの青春彷徨は当時浪人生活を送っていた筆者自身にもぴたっときたものだ。 =敬称略 (矢吹博志)

 ■バラエティ 発行:角川書店 創刊号:1977年10月号 190円 休刊号:1986年6月号 390円

 

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