【今だから明かす あの映画のウラ舞台】角川編(下) 薬師丸ひろ子売り出し戦略 「学業優先」逆手にとり (1/2ページ)

2016.05.20

爆発的な人気を誇った薬師丸ひろ子(1981年)
爆発的な人気を誇った薬師丸ひろ子(1981年)【拡大】

  • <p>「里見八犬伝」の現場ではリラックスした表情もみせた薬師丸ひろ子=1983年</p>

★角川編(下)

 1980年代の角川映画を象徴するのが薬師丸ひろ子、渡辺典子、原田知世の「角川3人娘」。売り出しには周到な戦略が練られたものだった。

 78年、14歳のとき「野性の証明」でデビューした薬師丸。翌年の「戦国自衛隊」でも端役で顔を出したが、角川春樹プロデューサーと組んだ元東映宣伝担当、福永邦昭をチーフとする宣伝プロジェクトとの本格的な仕事は角川主演第2作「セーラー服と機関銃」(81年)。

 当時、高校生だった薬師丸は学業優先で撮影は春休みと夏休みのみ。宣伝で本人を使うにも限界があった。彼女の情報が流れるのは角川書店の雑誌「バラエティ」だけ。

 「それを逆手に取り、ファンの飢餓感をあおった。映画の情報は公開数日前にテレビに集中させるので、それまではじっと我慢。クライマックスでひろ子がつぶやく“カ・イ・カ・ン”を宣伝コンセプトに、ひろ子の歌う映画主題歌を連動させるメディアミックス戦略を打ち出した」

 ウルトラCもあった。赤川次郎原作の小説は当初、他社から出版されていたが、角川書店が文庫本化の権利を獲得。それを売るために松竹や東宝の映画館でも東映配給の映画予告編を流したのだ。画期的だった。

 「当時の東映の宣伝費は多くても7000万円。それが、このとき投入したのは角川書店と合わせて3億円」

 角川主演3作目「探偵物語」(83年)では、福永の“一番弟子”遠藤茂行(現・東映執行役員企画調整部長)のアイデアで野球チーム「ヒロコーズ」を結成。東京・後楽園球場など全国6球場で開催したイベントには、どこでも3万人近いファンが詰めかけたほど。

 

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