さらに藤ヶ谷は横尾がNEWSとしてデビューする可能性があったことも付け加え、「キスマイはデビューからギリギリ外された人たちの集まりなんですよ。キスマイのMを(NEWSの)まっすー(増田)がやっていた時期もありましたね」と述べ、TOKIOを驚かせた。
ここまで苦労話を聞いてきた国分は「なんでここまで頑張れたの?やめようとは思わなかった」と確認。すると藤ヶ谷は「(やめようと思ったことは)結構ありました」と胸の内を明かした。そして「嵐のバックにつかせていただいた時に最後に嵐のファンの皆さんが僕らJr.に『ありがとう』って言ってくれたんですよ。それがすごく嬉しくて、幸せを与える方になりたいと思った」と付け加え、ここまで頑張ることができたその原動力について説明した。松岡は「苦労してんな、藤ヶ谷って。敬語使おうかな」とたたえた。
また藤ヶ谷は事務所のオーディションで一旦不合格になったというエピソードにも言及した。「いまだに誰が事務所に履歴書を送ったのか分からない」と切り出した藤ヶ谷。オーディションはホワイトボードに番号が書かれた者が合格で、自分の番号がなかったことから、一旦は不合格になったと明かした。
その日の藤ヶ谷は転校した友人と会うという予定があったため、「早くウチに帰りたくて。落ちて『よっしゃ!』と(思った)」とぶっちゃけ。一刻も早く帰路につきたくて、借りた番号プレートを会場のスタッフに「これ、誰に返せばいいですか?」と聞いたところ、その人物がなんとジャニー喜多川社長で「YOUは初日に僕に話しかけるなんてすごいよ」と言われ、急きょ、番号が追加され、逆転合格に至ったと説明した。