元週プレ名物編集者が激白…あの監督の素顔は「女豹」

2010.03.10


小峯隆生氏【拡大】

 イラクで闘う爆発物処理班の米兵の現実をえぐりだした「ハート・ロッカー」で女性として初のアカデミー賞監督賞を受けたキャスリン・ビグロー監督(58)。賞を争った「アバター」のジェームズ・キャメロン監督(55)との結婚生活や別れは、その作風にどう影響したのか。双方と親しく間近で見てきた作家の小峯隆生氏(50)が、「ビグローの素顔」を夕刊フジに寄せた。

 最初にビグローに会ったのは1990年、ハリウッドの近くにある「トレダービックス」というレストランでキャメロン監督と会食した時だった。

 背の高いできた年上お姉さん女房という感じだった。

 メシを食った後、書き上げたばかりの「ターミネーター2」の脚本を見に、キャメロンの家まで遊びに行った。

 ビグローは、でかいジャーマン・シェパードを飼っていた。いきなり、その大型犬に俺は尻のにおいをかがれてビビッた。ビグローが一言、命令するとそのシェパードは後ろに下がり、お座りして、申し訳なさそうな顔をしていた。その軍用犬を扱うビグローは、一言で言うと、クールでカッコ良かった。

 それ以来、キャメロンとうまくいっているときは、とてもフレンドリーに付き合って頂いた。

 ビグローが監督したアクション映画「ハートブルー」(91年日本公開)で、音入れのスタジオワークに参加した時のこと。ビグローは、常に完璧を目指し、俺が出したアイデアでさえも、良ければすぐに採用する柔軟さを兼ね備えた映画監督だった。

 実際に幾つかのシーンでの銃声のサウンドエフェクトは、俺のアイデアが取り入れられた。ハリウッド映画製作に参加させてもらい、感動したものだった。

 週刊誌記者としてビグローを取材する場合は、全面協力してくれて、持参したモデルガンを本人が持ってポーズを取ってもらえたくらいだった。

 しかし、転機は訪れた。

 91年にキャメロンと別れた後のビグローは、殻に閉じこもったようになった。取材で出会っても、俺の存在なんぞ一切、無視。俺の立場がキャメロンの親友だからして、仕方がないんだけど…。

 それからのビグローはどこまでも自分を追い込み、突き詰めて映画を作るようになっていった。

 傍目で見ている俺には、「キャメロンがいなくても、凄い映画を作ってやるわ」という、ビグローの強い情念が感じられた。心に傷を負った女闘士が、その傷に塩を自ら擦り込みながら、壮絶な咆哮を上げ、映画監督している女豹のような風貌になっていた。

 “悲壮”という言葉が当時のビグローに最も似合う言葉かもしれない。

 8日のアカデミー賞授賞式。オスカー像を手にしたビグロー監督の笑顔を見た瞬間、俺はハッとした。

 あの笑顔は、最初にロスで会った瞬間に目撃した、できたお姉さん女房の時と同じ、優しい笑顔だったからだ。

 女闘士が十数年前に負った心の傷は、あの瞬間、やっと癒えたのだ。心の中にあった爆弾を自らの手で爆破処理し終えた瞬間だった、そう思えて仕方がない。

■元週プレの名物編集者

 小峯氏は、1959年生まれ、兵庫県芦屋市出身。外資系企業のサラリーマンを経て「週刊プレイボーイ」の編集に参加。名物編集者として知られるようになり、ニッポン放送「オールナイト・ニッポン」のパーソナリティーも務めた。

 キャメロン監督のインタビュー集を手がけるなど親しく、「アバター」の演出にも参加した。主人公がツインローターのヘリで惑星パンドラに到着するシーンの撮影時にヘリを動かし、主人公が機関銃を持ってヘリから降りるシーンのアクション演出を指導。

 さらに、翼竜に乗ったエイリアンが矢を放って敵兵を打ち倒すシーンは、キャメロンの指示で日本の「流鏑馬」の動きをスタントマンに伝授した。

 

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