 師匠の赤塚不二夫氏(右)の隣で、シェーのポーズをする安達勉氏 |
先月18日、胃がんのため、元天才マンガ家がひっそりと、この世を去った。安達勉(あだち・つとむ)氏、享年56。野球マンガの名作『タッチ』で知られるあだち充(みつる)氏(53)の実兄で、本人もデビュー当時、「ギャグマンガ界の新星」と将来を嘱望された。師匠の赤塚不二夫氏(68)譲りの大酒飲み、ドンチャン騒ぎ好きで、「バカあんちゃん」と親しまれた男の人生は−。
「兄がいなかったら今の自分はない。(地元の)群馬から大海へ出るための水先案内人をしてくれた」。かつて充氏は、こう話していた。
昭和22年8月、群馬県生まれ。高校2年生のとき、貸本向けのマンガでデビュー。上京後、広告会社などを経て第1回少年ジャンプ新人賞(43年)に入賞した。その後、各誌から読み切りを依頼され、「増刊号の星」と呼ばれた。代表作は、ギャグマンガの『タマガワ君』(週刊少年サンデー連載)など。
 充氏が描いた「バカあんちゃん」の似顔絵 |
弟の充氏は19歳のとき、レースマンガ『消えた爆音』(デラックス少年サンデー12月号)でデビュー。「みっちゃん(充氏)は固い職業が合っている」と反対する家族を説き伏せ、強引に東京に連れ出したのが勉氏だった。このとき、同誌の巻頭カラーが勉氏の新連載『あばれ!! 半平太参上』。当時は弟より兄が売れっ子だったのだ。
勉氏は、まもなく赤塚氏に「チーフアシスタントなってくれ」と誘われる。当時は『天才バカボン』『もーれつア太郎』など赤塚マンガの全盛期。勉氏は「バカボン」を担当した。師匠と一緒で、「飲む、打つ、買う」すべて揃った遊びっぷりは豪快だった。本人も「先生やタモリと一緒のバカ騒ぎが楽しかった」と振り返っていた。
ただ、マンガへの熱意はなくし、マージャン荘で「ヤクザもんと打ち歩いた」ことも…。数年前には立川談志師匠率いる立川流に入門を許され、「立川雀鬼」を襲名。
赤塚氏はエッセーで「存在そのものがギャグみたいな男で憎めない。付いた師匠が悪かったわけではない、と思う。断言はできないけれど…」と記している。
幸子(さちこ)夫人(33)によると、一昨年暮れから、「胃が痛い」と訴え、近くの医院で胃潰瘍(かいよう)と診断されたが、体調は悪化する一方。昨春、大学病院で診察してもらったところ、がんが見つかった。切除手術はできず、抗がん剤などの治療を続けた。亡くなる直前まで「夏には大好きなゴルフをしたい」と話していた。
「他人に気を遣う人で、入院するときも『充は忙しいんだから、来なくていいと言え』と話してました」(幸子夫人)
赤塚氏とあだち兄弟を担当した元少年サンデーの名物編集者、武居俊樹氏(62)は「赤塚先生が勉に目をつけたのは、とにかく絵がうまかったから。一緒によく遊んで楽しかった。充も覚悟していたと思うが、早過ぎるよ」と惜しんだ。
ZAKZAK 2004/07/03