公演先の北海道白糠町で倒れて釧路市の病院で16日未明、心不全で亡くなったフォーク歌手の高田渡さん(享年56、写真)は、最期まで全国で歌い続けた一方、東京・吉祥寺を生活の拠点に、このまちの酒場をこよなく愛し、愛された人だった。
JR中央線の吉祥寺駅から徒歩3分。昭和3年創業のやきとり店「いせや」には連日、立ち飲み客たちが昼夜を問わず集まってくる。渡さんもそのひとりだった。
「風に乗って、やってくるひと」と、店の常連客でフリー編集者の男性(63)は話した。代表作のひとつ「自転車に乗って」を地で行くように、店には自転車でやってきた。楽器を載せるための荷台を取り付けた3輪自転車をのんびりと漕ぐ姿は、商店街でも有名だった。焼酎をウーロン茶で割り、何杯か飲むと顔を赤らめ、店の前にとめた自転車の荷台に腰掛けて眠ってしまう。そんな姿もおなじみだった。店長の西島泰助さん(72)は「起きて自転車で帰ろうとしたのはいいけど、酔っ払ってロックキーの番号を忘れちゃうなんてこともよくあった。そういうときは歩いて帰っていったよ」と話す。
 客でにぎわう「いせや総本店」。高田渡さん(上)の人柄は常連客に愛されていた=武蔵野市御殿山 |
渡さんは昭和46年、京都から吉祥寺に移転し、以来このまち近辺に住み続けた。美術団体「サロン・デ・ボザール」職員、小沢孝さん(51)は「亡くなったと店で聞いて、頭の中が真っ白になった。16日は悲しくて、あいつの分までずっと飲んでいた」とカウンターで唇をかみしめ、「吉祥寺は飄々とした渡の生き方にぴったり。だからずっと暮らしていたんだろう」と話した。
♪雨が降るといっては飲み、晴れたら晴れたで飲む。雪で一杯、紅葉で一杯…(酒心)といった具合で酒を飲み続けた生涯だったが、最近はそれでも酒量を控え、ウーロン茶だけのグラスを片手に常連客と会話を楽しむこともあった。常連客の一人、田沢昌志さん(40)は「にぎやかな雰囲気が好きだったんだろうね。話題は他愛もないことがほとんどだったけど、戦争のことも気にして、あのぼそぼそした口調で『いざこざなんか起こしてバカだねえ。仲良くすればいいのに』っていってた」と話す。
北海道へ旅に出る直前にも店にふらりと現れ、脊髄の病いで前日に難病指定を受けたことを明かした。「これからこの病気と一生付き合わなくちゃならない」と話していたが、わずか二週間の付き合いに終わった。好きな酒も進まず、わずかな量をすするように飲み、西岡恭蔵や坂庭省悟ら亡くなった仲間のことばかりを話していたのが印象的だったという。
渡さんの歌「酒が飲みたい夜は」には、こんな一節もあった。
♪酒が飲みたい夜は酒だけではなく、未来へも口をつけたいのだ。
ZAKZAK 2005/04/18